外山滋比古




  (3)段落とパラグラフ

 「乱暴だ。ひどいことをする。おどろいた」
 アメリカ人教師が教室から帰ってくるなり憤慨している。
 わけをきいて見ると、日本文を英語に訳すクラスで、学生が原文のパラグラフを勝手に切り分けて平気でいる。なぜこんなことをしたのかきいても、質問の意味がよくわからないらしい、と嘆いた。
 このアメリカ人は日本語が達者なのだが、日本人がパラグラフに弱いのはご存知ないのである。

 これは大学院で日本語の研究をしている学生のはなし――

 段落の本質を明らかにしようとして、この学生は、何年分かの朝日新聞の社説のすべてに当たった。分析して段落の法則のようなものを引き出そうとしたらしい。時間をかけて苦労したにもかかわらず、みごと失敗に終わった。
 筆者によって、ひとりひとり段落のとり方が異なっていて、共通性が乏しい。混乱しているということだけがわかったという。
 だいたい新聞で段落の研究をしようというのが間違っている。新聞はおくれていて、記事の段落がはっきりするようになったのも比較的近年のこと。ちなみに終戦の当日の新聞を見ると、段落がついていたり、いなかったりあいまいになっている。文末の句点はついていない。
 新聞に比べて、学校はずいぶん進歩的で、明治二十年代の文部省教科書には段落が導入されている。その啓蒙の効果はあがらなかったのは、日本語の伝統によるのかもしれない。『源氏物語』はむろんのこと、西鶴だって段落がない、えんえん綿々と続くのが日本語だ。
 いくら外国ではパラグラフがあるからといって、おいそれとそれを真似られるわけがない。段落をつけてみても、どうもしっくりしない。そういう意識は根づよく残っていたと想像される。新聞はそれに便乗して無段落をつづけたというわけである。いまも各紙第一面下のコラムは無段落のヘソの緒をつけている。学生がひとの文章の段落を切り崩すくらいでおどろくことはないのである。
 欧文のパラグラフにははっきりした構造と組織がある。典型的なのは A・B・C の三部に分かれる。A は一般的、抽象的な書き方がしてあり、B はその具体例などがのべられる。C はまた抽象的表現に戻って締めくくる。この三者が同心円のように重なるのがよいとされる。
 この構造に不案内だったりするとひどい目にあう。以前、大学入試で英文和訳の問題が必ず出た。その答案を採点していておもしろいことに気付く。さきの A の部分の原文の下を鉛筆の線が往き来していて苦心のあとを留めている。それが突破できずに失敗するのであるが、B へ行けばわかりやすく、そこから帰ってみれば A もわかる。A 止まりだから失敗するのである。
 いまは、段落のない文章は、すくなくとも活字にはならない。しかし、欧文のパラグラフとは違い、性格があいまいである。二百五十字から三百字くらいで段落を改めるように指導する国語教科書は親切なほうで、なにも云わずに作文をさせるのが普通である。どうしても形式段落になってしまう。文章が書けるというので論説委員になった人たちの書く社説がパラグラフのあいまいな文章になるのは是非もない。
 欧文のパラグラフにしても、すべてがさきにのべたように三段式で整然としているわけではない。だが、いくらか論理的であるのに対して、日本文の段落は心理的である。だいぶ長くなってきたから、ここで一段落としようか、といった気分段落がすくなくない。
 欧米の人はパラグラフ単位でものを書くが、日本人はセンテンスを重ねて文章にする。パラグラフを書いていくのは、長編に適しているが、センテンス式の段落では、どうしても短編になりやすく、長いものを書くのに苦労する。ひところ、 堂々四百枚の書き下ろし "などと喧伝したのもそのためである。書き下ろしが難しいから、あちこちへ書いたものを集めて出版することが多くなるが、欧米ではそういうのを「本」とは呼ばないようだ。
 日本語には段落はあっても、パラグラフはない。あった方がいいのか、このままの混沌がよいのか。なかなか微妙なところである。

 日本語文章は本来、縦書きによるものとされてきました。
 外山先生の原稿も当然、縦書きであることは表示の生原稿に明らかです。しかし、Web画面の制約で表示は横書き。始めてこの画面を見られた先生は、少なからず違和感を覚えられたようですが、(1)(2)(3)と回を重ねるに従い、横書きにふさわしい文章を、と行文、用字などに苦心を重ねられてきました。
 この間の機微を、Web、生原稿双方を見比べてお読みとり下されば幸いです。
次回9月1日、日本語の個性(4)をご期待ください。
 株式会社 トランネット
 東京都千代田区神田神保町1-26(〒101-0051)
 アイピー第2ビル5F
 TEL:03 5283-7555
 FAX:03 5283-7550
 E-mail:info@trannet.co.jp
 URL:http://www.trannet.co.jp

Copyright & Copy; 2005〜2008 by TranNet KK All rights reserved.