外山滋比古





(11)アイランド・フォーム ― 以心伝心


  「 N 君が淋しがっているでしょう」
 その N を見舞ってきた P が共通の友人 Q にそう云うと、Q はひどくおどろいた。Q は日本へ来て三年で、なにかと事情がのみ込めなくて、おどろいてばかりいる。入院している N が淋しがっているのがどうもフに落ちない。
 「病院にはたくさん人がいるでしょう。淋しいわけがないじゃありませんか」
「いや、N 君は、淋しがっているよ、きっと」
 P は N がひとりぼっちだから淋しがっている、と云っているのではない。Q に、見舞に行ってやりなさい、と云いたいのである。あからさまにそう云うのを憚って、遠まわしに淋しがっていると云ったのが、日本語のセンスが充分でない Q には通じなかった。このごろでは、日本人でもわからないかもしれない。
 これも、日本へ住むようになって数年という外国人の話。親しくしている友人から転居の挨拶が来た。印刷した文面の終りのところに
 「近くへお出かけの節は、是非お立ち寄り下さい」
とある。是非というのは、つよいことばである。なんとしても訪ねなくてはいけないと、わざわざ出かけた。引越し早々の来客にあわてた先方が、どういう用で来たのかときいたりしたので、すっかり不愉快になったという。日本人ならこれをマにうける間抜けはない。安心して、いらっしゃい、と云えるのである。
 これは中国残留孤児のこと。知り合いの家へ招かれて行った。帰りぎわに、そこの女主人が、
 「おひまなとき、また、遊びにおいでください」
と云う。ひまなら、いつだってある孤児が、次の週にまた訪問した。来いと云った奥さんが、どうして来たのかときくから、孤児君は腹を立てて、日本人は口先きばかりで、心は冷たい、という投書をした。本当に来てほしいときには、こんな云い方をしない、ということを知らなくておこった誤解である。
 外国から工場実習に来ている F がとなりにいる日本人の同僚 G に
 「スパナある?」
ときいた。G は黙って消えたと思ったら、スパナをもってきて、F に渡した。F は怒っている。あるか、と尋ねたのに返事もしない。なぜないのなら、ない、と答えないのか、と云うのである。たしかにもってこいとは云っていないが、スパナがいるんだろう。もって来てやった方が、ないよ、と云っているより親切になるというのが日本人の理屈である。相手の気持を汲み、それに応えている。
 スパナくらいなら、笑ってすませるが、外交では大きな問題になる。佐藤栄作元首相がアメリカで、ニクソン大統領と会談したとき、ニクソンが重要懸案をもち出したのに対して、佐藤首相がひとこと、「善処します」と答えた。大統領は、これをイエスと受けとり、問題は解決したと考えた。そうとは知らない佐藤首相が帰国してから、承知した覚えはない、と断言したため、アメリカ側が食言だと激昂、対日不信を招いた。(さすがにおかしいと考えたアメリカが研究?して 善処しますというのが トピックを変えましょうという意味だと結論、誤解は解けたが、十年もたってからのあとの祭りである)
 日本人同士でも、意味をとり違えることがある。コーヒーに砂糖を入れてくれようとする人に対して
 「結構です」
と云ったら、どっさり砂糖を入れられた。入れてほしくなかったのに、とこぼした人がいる。結構は、どうぞお願いします、と、いいえ、いりませんの両方の含みがある。いりませんというのがいかにも角が立つようで、結構ですとボカすのが、通じないことがある。
 東京の人が関西へ寄附をもらいに行った。相手が話をきいて
 「考えときまひょ」
と云った。しばらくして、東京氏が、もうそろそろ考えてくれたかと電話したら、相手が吹き出した。考えておこう、というのは、ノーの心である。婉曲なことわりであるとは、なれない人には通じない。
 日本語は通人のことばである。野暮な人には使えない。使えば誤解される。こういう通人のことばのことをアイランド・フォームと呼ぶことができる。島の国のことばの特色で、日本と同じような島国であるイギリスの文化について、歴史家のトレヴェリアンがつけた名称である。日本語はイギリス英語よりはるかにアイランド・フォーム化が進んでいる。
 アイランド・フォームのことばは論理的であるより、心理的である。以心伝心はアイランド・フォームのことばの花である。アメリカあたりのコミュニケーション論が何と云おうと、日本語は以心伝心を恥じなくてよい。

 皆さまに親しんでいただいてまいりました「日本語の個性」。回を重ね、いよいよ次回、最終回を迎える事になりました。
 外山先生が苦心を重ねられた縦書き生原稿に、多くの皆さまが日本語の奥深い魅力を感じ取られたことでしょう。これまで、国内外の読者の皆さまから沢山のお便りをいただきましたことに、スタッフ一同、この場を借りてお礼申し上げます。
 次回、日本語の個性(最終回)をご期待ください。




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