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原題 My Shanghai, 1942-1946
著者 Keiko Itoh(伊藤恵子)
分野 文学/歴史
出版社 Renaissance Book
出版日 2015/11/15
ISBN 978-1898823230
本文 21世紀のロンドンに暮らし、英語で小説を書くことを選択した日本出身の作家は、ひとりカズオ・イシグロばかりではない。日本ではまだあまり知られていないが、本書の著者ケイコ・イトウ(伊藤恵子)もいる。

伊藤の祖父は、横浜正金銀行の最後のロンドン支店長となった子爵、加納久朗(かのう・ひさあきら)である。加納の次女であり著者の母の加納英子は戦争勃発直後、結婚早々の二十歳の時に、のちに伊藤忠社長となる夫とともに上海で上流階級ならではの特権的な生活を楽しんでいた。伊藤が、自身の母をデフォルメしたキシモト・エイコ名義の日記形式で第二次世界大戦中の中国における日系共同体の物語を描いたのが本書である。

今年で戦後74年となり戦争を体験した世代の人口は次第に少なくなってきている。そんななか戦争小説の持つ意味は大きい。戦争小説は数多くあるが、通常の戦争小説では戦場の兵士たちを活写されることが多い。それに対し、この小説では戦時下における個人の暮らしに焦点が置かれ、上流階級の若き主婦であっても戦局の変化に応じて窮乏を極めていく様が描かれている。

また特筆すべきは、戦時下の上海の外国人居留地で主人公のエイコは、日本人や中国人だけではなくユダヤ系ドイツ人、クエイカー教徒のアイルランド人、米国のユダヤ人活動家などと極めて国際的な人間関係を築いていたことである。そのような人間関係も次第に戦況に影響されていく。

このように戦争小説として今までの小説とは違った視点で描かれているだけではなく、文学として最も大事な要素の一つである表現力についてもモダニズム作家の作品に連なる繊細なものが感じられる小説である。