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原題 Philosophy of Care
著者 Boris Groys
ページ数 112
分野 哲学、思想、歴史
出版社 Verso
出版日 2022/02/15
ISBN 978-1839764929
本文  現代社会の中でケアという作業形態はますます重要性を増している。子ども、高齢者、障がい者、病人、ストレスを抱えた人などは、日常的に手厚く配慮や気遣いをするべき対象として誰もが認めている存在だ。他者に対してだけではない。自分の体や心の健康もケアが必要だ。さらに個人情報や写真、文書、動画、メールなどの人工物なども慎重かつ継続的なケアを求めている。これら「象徴的体」は「肉体」とともに「自己」を形成するが、肉体が滅びた後も、象徴は生き延びるからである。ケアの概念は多義的に広がっている。

フランスの哲学者、ミシェル・フーコーは現代の国家を「生政治」と規定したが、その主要な役割は国民の身体的ウェルビーイング(最善の状態)を求めることである。その意味ではかつて宗教が担っていた役割を、いまでは医学が果たしていることになる。私たちは具合が悪くなると治療を求めて医者にかかる。医者は私たちをケアする主体である。一方、医者に行く判断を下すのは私たち自身である。自分の体の状況や外部からのアドバイスや知見に基づき、病気かどうかを判断する。その際のケアの主体は私たち自身であり、いわばセルフケアをしている状態だといえる。そこでの判断の基準、つまり、自分が病気であるかどうかの判断はどのようにして下されるのだろう。外部からもたらされる医療に関する情報は、科学的なものから民間伝承的なものまで、信頼に足るかどうか、だれが判断するのだろう。
そもそもケアの主体とはいったい誰なのだろう。

ケアに関する議論は長い哲学的伝統を持っており、本書ではこの伝統をたどる。プラトンに始まり、ヘーゲル、ハイデッガー、バタイユなどを経由して、アレクサンドロ・ボグダーノフに至るまで、多くの哲学者によるケアの見識とその実践はさまざまである。コロナ感染症の流行やその他の危機によって生じた諸問題にどう対処するか、その手掛かりとなり得る一冊といえる。