ブックレビュー ブックレビュー

原題 The Age of Hitler and How We Will Survive It
著者 Alec Ryrie
ページ数 160
分野 政治、思想哲学、歴史
出版社 Reaktion Books
出版日 2025/07/01
ISBN 978-1836390824
本文 本書は、現代の西洋社会がいかに「反ヒトラー」という道徳的枠組みによって形づくられてきたか、そしてその枠組みが崩れつつある今、私たちはいかにして生き延びるべきかを問う示唆に富んだ一冊である。

第二次世界大戦後、西洋社会においてヒトラーは「絶対的悪」の象徴として機能し、そこから「人権」「平等」「民主主義」「反差別」といった道徳的価値観が定義されてきた。私たちは「彼のようにはならない」ことで、自らの「善」を確認してきたのだ。しかし、現在、その道徳的コンセンサスが徐々に崩れつつあり、これまでの「ナチズムとの対立」が道徳的判断の基準として役割を失いつつある。

宗教の権威が弱まる中で、ヒトラーは一種の現代の道徳的基準点となってきた。小説や映画などの文化芸術においても、『シンドラーのリスト』『ライフ・イズ・ビューティフル』から、『スター・ウォーズ』『ハリー・ポッター』に至るまで、ナチズムそのものや、その影響が見られるテーマが繰り返し描かれている。著者は、こうした文化的・道徳的現象を歴史学、政治思想、神学の観点から多角的に分析する。そして私たちが「ヒトラーを否定する」ことで「善である」とする道徳に過度に依存してきたことを鋭く指摘している。

最も挑発的な主張は、「反ヒトラー時代が変化しつつある」という点だ。ナチズム自体の復活ではなく、それに対する明確な「反対」という道徳的軸が、左右両方から揺らぎ始めているという現実である。右派においてはナショナリズムや歴史の美化が進み、左派においてはリベラルな価値観への疑念が高まりつつある。その結果、「絶対的悪に対する絶対的善」という分かりやすい構図は崩れ、道徳的対話は断片化し始めている。

それでも、著者は希望を捨てていない。ヒトラーの影によって支えられてきた道徳的明快さが崩れる中、私たちは新たな道徳の枠組みを構築する必要がある。著者は明確な解決策を示すわけではないが、「意識的にこの変化と向き合わなければ、極端主義者たちに道徳的未来を奪われてしまう」と強く警鐘を鳴らしている。反ヒトラーの時代は終わるかもしれないが、その後をどう生きるかは、まだ私たち自身の選択にかかっている。

読みやすく、学問的にも緻密な筆致の本書は、リベラル・デモクラシーの未来、現代の倫理、歴史的記憶の継承に関心を持つすべての読者の必読の書となるだろう。