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原題 The Taste of Water
著者 Christy Spackman
ページ数 289
分野 環境科学・技術史、感覚研究、環境論
出版社 University of California Press
出版日 2023/12/05
ISBN 978-0520393547
本文 自分の家の蛇口から出る水がどうしてこんな味なのか不思議に思ったことはあるだろうか? そして、水道水の味が都市によって違うことを意識したことがあるだろうか?

現代の水道水が持つ「特徴のない味」は、自然の産物ではなく、過去100年にわたり、技術的・政治的な取り組みによって意図的に作り出されたものである。著者は、このプロセスを「産業的テロワール」と呼び、水に含まれる地域特有の要素(汚染物質、微生物、鉱物など)を取り除き、どこでも同じ味の標準化された製品としての水道水を生み出すための管理手法だと定義している。この「味の除去」は、単なる衛生管理にとどまらず、環境汚染に対する市民の感受性を鈍らせ、水インフラや環境政策に関する意思決定にも影響を与えてきたと、著者は指摘する。

水の味を管理する技術は、どのような転換点を経て発展してきたのだろうか。その始まりは、20世紀初頭のシカゴで産業汚染への対応として導入された定量的測定法「TON(臭気閾値:においが感じられなくなるまでの希釈倍率)」である。それに続いて、食品産業から導入された分子レベルでの風味理解「FPA(フレーバープロファイル分析)」や、成分の分離・分析を可能にする「GC(ガスクロマトグラフィー)」、さらに国際的な専門家ネットワークによる感覚言語の標準化「フレーバーホイール」などが登場する。そして現代では、自治体や民間企業が消費者教育の一環として展開する「味覚の劇場(食を通じて感覚や文化を体験する教育的な取り組み)」へとつながっている。本書は、こうした技術と文化の交わりにおける味覚管理の変遷を、丁寧に描き出していく。

著者は、水不足という現代的課題への対応策である「直接飲用再利用(DPR)」を、産業的テロワールの究極形として位置づける。DPRは、下水を高度に浄化し、直接飲用水として再利用する技術で、廃水から、地理や来歴に由来する成分を徹底的に除去し、まるで「白紙状態」のような水を作り出す。この技術は、飲み水に対する「なんとなく気持ち悪い」という感覚を取り除き、安全で安定した水の供給を可能にする一方で、私たちと自然環境との繋がりをさらに希薄にしてしまう可能性もある。

本書は、水の味という身近な感覚が、いかに科学、政治、経済、そして環境の未来と深く結びついているかをひもといていく。単なる「水の科学」ではなく、「水の味」がどのように社会的に形成され、消費されてきたかを探る、感覚文化史と環境技術史の要素を合わせもった一冊だ。