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新井希久子(第692回オーディション入賞者)

第692回 オーディション 作品入賞

訳書名 『じてんしゃにのった そば』
訳書出版社 株式会社あさ出版


翻訳ストーリー

「ねえ、一緒に絵本の翻訳をしてみない?」
 知人のひと言が、二十年間続けてきた英語教室の仕事と絵本翻訳を、思いがけず一本の線でつないだ。私は“英語を教える人”というより、英語を英語のまま味わう楽しさを案内する“ナビゲーター”のつもりで、今日も子どもたちとワイワイやっている。だから正直、原書を日本語に訳すという行為には、うっすらとした違和感があった。「これ、私の役割と矛盾しないかな」と。
 ところが実際に翻訳に向き合ってみると、その迷いこそが強みになった。たとえば翻訳の「リズム」。子どもたちが声に出したときのテンポや、ページをめくる間の“間”を、私は日々の教室で体の感覚として知っている。「どんな言葉なら物語に入りやすいかな」を考える時間は、単なる言葉の置き換えではなく、いつもの“読み聞かせ”や“一緒読み”の延長線上にあった。今回のオーディション合格は、現場で育ったそんな感覚が訳文にも自然とにじんでいたからかもしれない。そう思えることが、私にはとてもありがたかった。
 制作が始まってからは、「翻訳は一人の仕事じゃない」という発見もあった。コーディネーター、編集、デザイン、営業、そして書店の方々。多くのプロの手が重なり、一冊の本が読者の手に届く。地元書店の特設コーナーを見たとき、「ああ、私はこのチームの一員なんだ」と実感。背筋が伸びる思いだった。そして読者から届いた「小一の息子が何度も読んでいます」という声。これに触れたとき、翻訳という仕事の意味と、英語講師としての自分の役割が、ようやく一本の線で結ばれた気がした。日本語で物語の核心を届けることは、いつか彼らが原書に手を伸ばす未来への、小さな「たねまき」なのだと。
 だからこれからも、私は子どもたちと原書を楽しむ。その現場で生まれる感覚を大切にしつつ、原書の魅力をそっと日本語にのせるナビゲーターとしても、この先、まっすぐ歩んでいこう。

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