トランネット会員の翻訳ストーリー
ひろうちかおり(第467回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
何度かオーディションに落ちるたびに、もうオーディションに受かる可能性などないのではないか、とかこれで最後の応募にしようか、という思いがよぎりました。しかし、実務翻訳や共訳のお仕事など、目の前の締め切りに必死になる日常に戻ってしばらくすると、やはりもう一度、という気持ちがふつふつと沸いてきてスケジュール帳をにらみながら取り掛かる。そんなことを繰り返した後にいただいた合格の知らせでした。
翻訳をさせていただいた『Google Earthと旅する世界の歴史』は地図ソフト「Google Earth」を使って世界史の現場へ行ってみよう、というガイドブックつきの絵本です。ソフトの使い方が詳しく書かれていると同時に、有名な世界史の一幕を描写したカラフルな楽しい絵がページの隅々にまで細かく描かれ、ゲーム感覚で読みすすめられる楽しい本。クイズあり、間違い探しありで、翻訳作業中は小学生の我が子たちが「何やっているの? おもしろそう!」と覗きこんできました。作業する時間まで楽しくなるような本を訳させていただいたことに感謝の気持ちでいっぱいでした。
一方、子供向け、大人向けに関わらず、原文の裏をしっかりととりながら作業を進めなければいけないことに変わりはありませんでした。学生時代の曖昧な世界史の知識では到底及ぶはずもなく、固有名詞はもちろん、各ページの時代と国の背景をつぶさに調べる作業には予想以上に時間がかかりました。
実務翻訳と違い、特にこうした出版物の翻訳は英語力、日本語力といった語学力に加えて日常の生活のなかで知らず知らずに学んでいることや経験を含めた総合的な力が翻訳の質をあげていくために必要なのかもしれません。今回の私のオーディション合格はまだまだ偶然のようなもの。まだやるべきことはたくさんあります。パソコンから少し離れて、人と会話し、知見を増やす時間を今まで以上に大切にしつつ、偶然ではないしっかりとした実力を身につけられるよう、今後も学び続けていきたいと思います。
※ほかにも本誌内 ▼トランネット翻訳書新刊情報 でご紹介している訳書、分担訳など多数の訳書があります。
林れい(第465回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
転居が多く、内にこもりがちだった私は、いわゆる本の虫として育ちました。古事記でも聖書でも海外ホラー小説でも、目に入った本を片端から読み、学校ではいつも図書委員(今も子供の幼稚園で図書係)。今も、セールのバッグや服は迷った末に結局買わないくせに、気になる本は値段にかかわらず衝動的に買ってしまい、夢中になって読み耽っては家族にあきれられています。日本にはないブラックユーモアあふれる絵本を追求したり、健康・美容から転じて古今東西の毒について調べ始めたり、テーマはそのときどきで違いますが、何かを広く知ろうとすれば必ず海外の本に手が伸びます。
日々の読書の延長として、ただ好きというだけで高校、大学とも英語科に進み、就職もせずにライターをしているうちに、本格的に翻訳を仕事にしたいと思うようになったのは’90年代中頃。とはいえ、翻訳“家”の道は非常に狭き門でした。「じゃあ、実務翻訳者になろう」と軽く気持ちを切り替えられたのは、ビジネスの話を現在進行中の物語ととらえてみたときに、意外なおもしろさを発見したからです。駆け出し当時が折しもITブームの真っ盛りということもあり、幅広いお仕事の機会をいただくことができたのは本当に幸運でした。
初の訳書となった本書には、ビル・ゲイツ、故スティーブ・ジョブズ、ラリー・ペイジ、とそうそうたる面々が登場します。かの大物たちが実は昔からの友人関係だったり、意外な生い立ちを背負っていたりと、人間模様と時代の流れが交錯する物語としての魅力を伝えたいと必死に翻訳に取り組んだ3か月は、苦しくもあり楽しくもあり、この仕事ならではの高揚感を覚えました。また、出来上がった書籍が届き、帯に憧れの津田大介氏の名前を思いがけず見つけたときには天にも昇る心地でした。
いま、一番注目しているのはジャック・ドーシー氏。ツイッター、そしてスクエアの創業者です。ITは今後、エネルギーや金融の世界とさらに融合していくのではないかと想像が膨らみます。物語はこれからどのような広がりを見せていくのでしょうか。楽しみです。
いがらしともこ(第445回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
字幕翻訳という仕事に憧れ、翻訳の勉強を始めた。当時は、自分にもセンスがあると信じていたが、オーディションを受けてみると、自分は字幕に向いていないことがよく分かった。文芸書も合わないらしい。「絵本ならいけるはず」と思ったが、やはり私の文章は“イケてない”ようだった。経済関連はオーディションを受ける気すら湧かない。じゃあ、自分には翻訳ができないってこと? と、諦めかけた頃、「専門書」という分野に私の居場所があるのではないかと、オーディションを通して見えてきた。
私はずっと言語学ばかりを勉強してきたので、翻訳するとなると、いわゆる「専門分野」がない。図鑑の類いを訳すには、相当な調べ物が必要になるが、手元に文献はないし、教科書もない。専門家の知り合いがいるわけでもない。とにかくネットで調べ、裏付けを取り、図書館や書店に足を運び、通販で書籍を取り寄せ、小さな疑問に答えてくれそうな専門家を探し、問い合わせる。
子供向けの文章を書くときには、いつもよりたくさん声に出して読んでみる。いつもよりリズムを大事にする。小学生向けの書籍を読む。小学生向けのサイトで調べ物をしてみる。小学生向けの国語辞典、漢字辞典を手元に置いておく。普段から隣家の小学生たちと仲良くしておく。今回も小学校高学年以上が対象ということだったので、対象年齢の子供の会話が気になって仕方なかった。すると、「へー、小学生って、そんな難しいことも知っているんだね」と驚いたり、案外簡単な漢字が教育漢字から外れていたり、意外な発見もいっぱいだった。
図鑑をはじめとする専門書の翻訳は、決して楽な仕事ではない。児童向けとなると、考慮しなければならないことがぐんと増える。けれど、楽しい。クセになる。やめられない。自分の意外な一面に気付かせてくれたオーディションに感謝しつつ、また調べ物いっぱいの課題が出ないか、心待ちにする毎日だ。
※ほかにも多くの訳書があります。
加藤律子(第448回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
翻訳の登竜門といわれるリーディングを延々つづけながら、登竜門の先が見えずにいました。なにか一歩踏み出せるきっかけがないかと模索していたところ、トランネットの存在をネットで知り、入会しました。実務翻訳にも手を出しており、これはと思うオーディションを逃したりしつつ、何度かトライするうちにラッキーにも「How to Run」を翻訳するチャンスをいただきました。
ランニングはあまり得意ではないのですが、体力と時間があれば毎日でもやりたいくらいテニスは好きです。著者のポーラ・ラドクリフさんのいう、身体を動かす爽快感は共感できました。オーディションの箇所はストレッチ運動の動きの解説などがあり、その同じ動きを自分で実際に試すなどして訳語を試行錯誤しました。訳者に選定されたという連絡をいただいたときは、正直舞い上がり、側にいた息子にハイタッチ!
チェッカーの方、編集者の方、ライターの方との共同作業で一冊の美しい本になったときの達成感は格別でした。写真が多用されていてパラパラ眺めるだけでも楽しい本です。残念ながらラドクリフさんが期待されたロンドンオリンピックに欠場だったので、時宜を生かした出版になり損ねた気がしますが、テニス仲間からは好評です。ときどきAmazonをチェックしていて、星5つをみつけたときはニンマリでした。自分が訳した作品が誰かの役に立っていると実感し、幸せな気分になりました。
時間が経つのを忘れるくらい訳語の練り上げに没頭できる翻訳の作業が好きです。オーディションの選抜結果を待つ期待と不安の入り混じった気分も、日常ではなかなか味わえないもので、いい刺激です。一歩を踏み出させてくれたトランネットに感謝しつつ、これからも気合を入れてオーディションに挑戦していくつもりです。
石川園枝(第459回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
ビジネス、科学全般に疎く、課題文を眺めて過ごす日々が続いていましたが、今回の『8週間で幸福になる8つのステップ』は自己啓発書で、しかもオーストラリアのテレビ番組を本にしたものということで、これならばなんとかなるかもと思って挑戦してみることにしました。
ところが、いざ課題文に取り組んでみると、まずタイトルにつまずき、冒頭のidentifyにつまずきと、1段落訳すのに数日かかり、今回もダメかとあきらめかけましたが、次の自分への答辞を書くというところではすんなり言葉が浮かび、そのまま勢いに任せて最後まで訳し、無事応募に至りました。
ミスがあったにもかかわらず、翻訳者に選んでいただき、作業が始まったわけですが、予想に反して(!?)内容が専門的で、心理学や脳科学、幸福とはなんぞやという哲学的な内容にまで触れられていて、大いにあせりました。これでもキャリアだけは長いので(手書きのころから仕事をしています)、分量の多いものをこなすのには慣れていましたが、調べものに時間をとられ、期限内に終わるか不安になったこともあります。そんなとき心の支えになってくれたのは、テレビ番組の8人の出演者です。幸せとはいえない状態にあるそれぞれの出演者が、8つのステップを踏むごとに幸せになっていく姿に励まされてなんとかゴールにたどり着くことができました。
この本は、幸せになるために自分にとって本当に大切なもの(こと)はなにかを見極める(identify)ことから始まりますが、わたしにとって大切なことは、好きな翻訳を続けることです。仕事も継続的にあるわけではなく、いまだに独身で傍から見れば気の毒な人かもしれませんが、好きなことを仕事にできて、けっこう幸せです。
佐藤淑子(第454回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
子どもの頃から本が大好きで、漠然と翻訳の仕事にあこがれていました。けれどもなかなか一歩を踏み出せず、実際に勉強をはじめたのは結婚後でした。一念発起、通信教育の受講を開始。さまざまな種類の課題文を訳すなかで、昔から興味のあった児童書の翻訳に携わりたいとの思いが強くなりました。
とはいえ、通信講座で勉強しただけで訳書が出せるようになるわけはありません。出産、育児、転勤族ゆえ頻繁な引越し……細切れの勉強を続けながら、時間ばかりが過ぎていきます。トランネットを知ったのは、そんなときでした。オーディションで選ばれれば訳書を出せる、選ばれなくても訳例や解説がもらえるとあって、さっそく会員になりました。
入会後、最初に行われたオーディションの課題は「おまじない」。読んでみるとおもしろくて、力試しのつもりで応募してみました。すると訳者のひとりに選定されたのです。まさかのビギナーズラック! 知らせを聞いて舞いあがったものの、いざ翻訳が始まると困難の連続でした。通信講座の課題くらいしか訳したことのなかった私にとって、大量の文を決まった期間内に訳すのは至難の業。そのうえ調べ物も多くてなかなか思うように進みません。焦りながらの数カ月でしたが、訳し終えたときには達成感でいっぱいでした。
それからも何度かオーディションに挑戦して、落選する日々が続いた後、念願の児童書のオーディションで選んでいただき、動物図鑑を訳す機会に恵まれました。今後も落選にめげず、オーディションには積極的に挑戦していきたいと思っています。先が見えない翻訳修行ですが、いつか邦訳の出ていないお気に入りの児童書や絵本を、自分の訳で日本の子どもたちに届ける日を夢みて、あきらめずにコツコツと勉強を続けていきたいと思います。
※佐藤淑子様にはほかにも分担訳・翻訳協力などの訳書があります。
大城光子(第435回・第460回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
翻訳は難しい。とても難しい。同じ日本語で話していても、人は誤解する。すれ違う。感情がもつれる。いわんや外国語においてをや。それぞれに曖昧さや多義性をもつ言葉が連なって、そこかしこに誤解や取り違えの落とし穴が待ち受ける。異言語間の大河を渡るには、技術も体力も要る。しかも、そそり立つ文化という名の断崖絶壁! 足はすくむし目はくらむ。
けれど、翻訳の機会を得ることは、時としてもっと難しい。まれにチャンスに恵まれても、その状態を維持することはさらに難しい。本はなかなか売れてくれない。滅多に人に会わないから、コネ作りだってままならない。印税なんて見たことない。簡単に言うと、生活できない。
けれど、翻訳は楽しい。言葉の森で迷いつつ、遠い国の誰かの声に耳を澄ます。追いかけていくと、路上生活の女の子がハーバード大学に行ったり、就活に失敗した青年が一躍全米の注目を浴びたりしている。コツコツと訳していくと、やがて一冊の本の世界がこの手もとから立ち上がる。うれしい。クセになってしまう。頭痛肩凝りなんのその。
だから翻訳者はつらい。難しくて楽しいこの矛盾を、どうしたら解消できるのか。
特効薬はないけれど、オーディションがある。解決はできなくても、足がかりにはなる。何度落ちたって、また受ければいい。プロのはしくれのつもりで応募した私は、落選のたびプライドがいたく傷ついたけれど、おかげでずいぶん腕も上がった(はず)。
そう言えば昔、翻訳は当たればでかい、宝くじより確率も高い……そう言って励ましてくれた英語の達人がいた。最初は半分その気になって、やがて現実はそんなに甘くないと知ったけれど、でもそれはまるきり嘘ではないと、心のどこかで思っている。翻訳はそんな夢のある仕事でもある(かもしれない)。
穂坂かほり(第450回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
2011年の夏、会社勤めのかたわら、文芸翻訳を志して翻訳学校に通うようになってから4年。翻訳は楽しく、下訳の仕事もいただくようになっていましたが、本当にプロの翻訳者になれるのか、自分の未来が見えませんでした。このまま一冊も訳すことなく、終わってしまうのではないか。結果の出せない自分に焦っていたのです。
そんなとき、トランネットから配信されてきたオーディション課題に思わず釘づけになりました。インド系IT企業のCEOが書いたビジネス書。なんと私が以前お世話になったことのある企業の話だったのです。著者のCEOにも、課題文に出てくる創業者にも、お会いしたことがありました。長い間、インド関連のIT業界にいたため、インド企業のことなら、それなりにわかっているつもりでした。課題文を読むと、著者のやや泥臭い語りが日本語になって聞こえてきました。この作品だけは私が訳さなければ。課題に対してそんな一方的とも言える使命感を抱いたのは初めてのことです。
とはいえトライアルに挑戦し、実際に合格通知をいただいたときは、まさかと眼を疑いました。感激に浸るのもつかの間、それから怒涛の日々が始まりました。土日は返上、平日は深夜までノルマ消化。辛くないと言ったら嘘になりますが、描写文や対話文など、翻訳で楽しめるところは思いっきり楽しむことにしました。こうしてコーディネーターやチェッカーの方の伴走、編集者の方のアドバイスのおかげもあり、無事、納品を終えたときには、数年来感じたことのない達成感がこみ上げてきました。やっと結果が出せた。あきらめなくてよかった、と。
一冊の訳書が出せたことは、ほんの小さな結果にすぎず、まだまだスタート地点に立ったことにはならないかもしれません。でもこの小さな結果が、大きな励みとなって今も私を支えてくれています。今後はフィクション、ビジネス書の両方を視野に入れつつ、焦らずたゆまず、翻訳と向き合っていきたいと思います。
内田真弓(第441回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
私はもともと日英語の語法の違いに興味があり、これを生かした仕事をしたいと思っていました。そこで漠然と「翻訳っていいな」と思っていたのですが、当時の私にとっては、翻訳家などまるで別世界の話でした。少しでも翻訳の世界に触れていようとトランネットに入会したものの、約10年の間にオーディションに応募したのはわずか数回という体たらく。
そんな私に転機が訪れたのが、約3年前。翻訳に興味だけは持っていた私に、翻訳関連の授業依頼がきたのです(私はもともと英語の教師です)。まだ、まともに翻訳書など出したこともないのに……と思いながらも、この勉強をする絶好のチャンスを逃す手はありません。実績がほとんどなかったので関連書を読み漁り、そして力試しに久しぶりにオーディションを受けることに。すると意外にもあっさり入選。それが『病気にならない人たちは何をしているのか』でした。
まるで何もない業績欄を埋めてくれるかのように、絶妙なタイミングでいただいたお仕事。しかし、訳者に選ばれた喜びもつかの間、仕事と翻訳に追われるハチャメチャな日々が始まりました。数ページのオーディション課題をこなすだけでも精力を使い果たしていたのに、今度はそれが数百ページも続くのです。相当の体力と根気が必要です。
初めての単訳でペースと勝手がうまくつかめず、コーディネーターや出版社の方にかなりのご迷惑をおかけして、ようやく作業が終了。この後も1回お仕事をいただきましたが、やり遂げた達成感よりも、うまく物事が運ばなかった(そして集中力を維持しきれなかった)ことに対する反省と後悔の気持ちのほうが、正直まだ多いです。
それでも何事も経験。大学教授でありながら、翻訳家として精力的に活躍されている金原瑞人氏のような先生を目指して、これからもオーディションに挑戦し続けます。いつか「あぁ楽しかった」と言って翻訳作業を終えられるようになる日を夢見て。
ふじいよしえ(第438回オーディション作品入賞者)藤井良江(第452回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
トランネットに入会したのは、『通訳翻訳ジャーナル 誌上翻訳コンテスト』で最優秀賞をいただいたことがきっかけです。賞品がトランネット入会と出版翻訳トライアルの案内と聞いて、当時は「これで夢に大きく近づいた!」という気持ちになったものです。ところが、世の中そううまくはいかないもので、トライアルにはあっさり落選、その後応募したいくつかのオーディションでも一次選抜にも残れないというありさま。登録している翻訳会社の仕事もめっきり減り、勉強も何だかうまくいかない、という状態で、オーディションへの挑戦にも前向きになれない時期がありました。
そんなとき、珍しく絵本のオーディションがあり、その可愛らしい内容に惹かれて応募したところ、訳者にこそ選定されなかったものの思いのほか良い評価が返ってきたのです。それで児童書の翻訳にも興味が湧き、『Trains』のオーディションにも応募すると、ありがたいことに訳者に選定され、同時にシリーズものの『Cars』の翻訳も任せていただくことになりました。コンテスト入賞から3年目のことでした。
このシリーズは、数種類の乗り物を幼児向けのやさしい言葉で紹介するとともに、巻末の「豆知識」ではむしろ小学校高学年の子どもたちが興味をもちそうな、かなり詳細な薀蓄を披露している立派なノンフィクションです。調べものにも時間を費やし、JRの研究所に電話をかけて質問したこともありました。
その後もオーディションにより、発達障害を扱った『Be Different』という、これもまた興味深い読み物の訳者に再び選定していただきました。
私は、気がかりなことがあるとそのことをつい何度も尋ねてしまう癖があるので、家族からは「しつこい性格」と言われていますが、このしつこさも翻訳作業に関してだけは長所として活かされるのではないか、と勝手に思っています。勉強を始めてから10年以上経ちましたが、今後もしつこく翻訳に関わることができれば幸せです。
しげまつえいこ(第442回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
自分の名前の入った1冊の本。本好きにとってこれほど魅惑的な響きの言葉はありません。いつかはその1冊をと、夢を抱いていました。
友情に恵まれてきた中で、ひときわ深い絆を感じている友人がいます。ある日彼女が「子どもが好き、書くことが好き、英語が好きなあなたに」と、1冊の洋書絵本を贈ってくれました。翻訳コンクールの課題図書でした。心惹かれて早速応募してみましたが結果は落選。「才能ないんだと思う」という私に対して、彼女は「最終選考には残っていたかも。絶対に向いているから1度や2度の落選であきらめないで」と決然と言い切り、夢をあきらめかけて少し小さくなっていただろう私の背中を押してくれました。
そうして応募したその年のコンクールで入賞。さらに別のコンクールで優勝し、初めての翻訳絵本の出版となりました。その1冊が生まれるには様々な輪がつながっているけれど、彼女の友情という大きな輪がなければ決して叶わなかった夢です。
1冊でも訳書が出ると、応募できるコンクールも限られます。それでも「もう1冊」と描き直した夢をあきらめてはいませんでした。チャンスはこのオーディションでした。3度目の挑戦で幸運なことに応募訳を選んでいただき、業務発注書が送られてきたのが、奇しくも彼女の誕生日。友情の神様が演出してくれた計らいを感じ、改めて思い起こした彼女との日々に胸が熱くなりました。
その日々の中にも、さらに不思議な縁がありました。
彼女も私も本好きです。でもなぜかお互いに本をプレゼントに選ぶことはほとんどありません。その中で彼女が私に贈ってくれた本が2冊。例の課題絵本の他の1冊が、『クリスマスの12日』というしかけ絵本でした。その美しい絵本の刊行社が、何と今回と同じ大日本絵画であったとは、友情の神様は一体幾重にその計らいの輪をはり巡らされたのでしょう。
今回の訳書もまた、連綿とつながった輪の中で生まれたささやかな1冊の奇跡。紙でできた「この子」もまた「大切な日本のお友だち」に会いに旅に出ます。そのための輪に今度は私がなれるのです。絵本翻訳の大きな喜びです。
久芳清彦(第430回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
インターネットを5年ほど前に始め、海外の新聞雑誌が自由に閲覧できることに感動、英語が勉強したくなり、それには何か励みになるものが必要と考えた末たどり着いたのが翻訳でした。本格的にと思ったので、通信教育を受講することにしました。その後、トランネットのことを知り、向こう見ずな私にはぴったりのシステムと思い、ちょうど通信の添削者の実力に疑問を感じ、また数回の受講経験からこれは「習うより慣れろ」の世界だと確信していたこともあって、通信をやめ、オーディション課題文をどんどん訳していくという実践
的な勉強方法に切り替えました。応募料もバカにはなりませんでしたが、通信の授業料だと思えば安いものでした。
そして、運よくチャンスが巡ってきました。しかし、それは畑違いの科学に関する書物でした(実は英語そのものも畑違いなのですが)。チェッカーの援助がなければ絶対に上梓できなかったと自信をもって言えます。加えて、原文には問題を感じる点が多く、イライラしながらの作業でした。余りにひどい部分は訳さなかったり大胆に意訳したので、チェッカーの方からは「訳抜け」「原文から離れすぎです」等、胸にグサッとくるような指摘を再三にわたり受けたものです。ただある時、私の気持ちを察してか、「悪い英文を訳して良い
日本語にするのが翻訳者の腕の見せどころ」といった旨の励ましを頂戴しました。それまで翻訳者というのは完全に従属的な存在と考えていた私はこの言葉に感銘したというか、一種驚きをもって受けとめました。しかしどこまで原文を尊重すべきか、つまり原文に忠実であるべきか日本語として自然であるべきかという漱石的ジレンマは続きました。
このジレンマはもちろん今日も続いていますが、「原文を超える翻訳」目指し、悪文だからといって拗ねもいじけもせず、物来順応の精神で取り組んでいきたいと思っています。
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