トランネット会員の翻訳ストーリー
青木柊
翻訳ストーリー
もともと、数々の優れた日本語訳を通して外国文学に親しんできた私にとって、出版翻訳は憧れでもあり、いつか挑戦してみたい分野ではありました。
しかし、欧州古典文学の中の市民社会というニッチな分野に興味を持ち留学を決意。現地の大学では専門書をドイツ語、イタリア語、ときには英語の原書で読むのが精一杯で、それを日本語で消化し反芻する余裕などとてもありませんでした。 しかしある時、軽い気持ちで引き受けた数ページの独日翻訳で、自分でもショックを受けるほど大苦戦したのです。これをきっかけに大反省し、以来、時間を削ってでも日本語で考えること、書くこと、そして美しい日本語をたくさん読むことを心掛け、日本語の「リハビリ」に励みました。自分の中で日本語が再生されていく過程は、心にも実に気持ちよく、まさにリハビリと呼べるものだったと思います。そしてその中で、やはり翻訳に関わりたいという夢が自分の中で再び強くなっていきました。
そんな中、偶然トランネットのことを知りました。海外在住で、日本の出版翻訳界というものにまったく触れたこともなかった私ですが、そんな私でもオーディションを受けることができると知り、即入会を決めました。
今回翻訳を担当させていただいた二冊には、どちらも素晴らしい写真がたっぷりつまっています。このため、作品の雰囲気をイメージし易かったのはとてもラッキーでしたし、何度も美しい写真を眺めては「この隣に私の訳が載るのだ」とワクワクしながら作業にあたりました。また、担当の方からのフィードバックには一喜一憂しつつ、さらに考えをめぐらせました。そんなすべての作業が刺激的で、まだまだスタート地点に立ったばかりですが、今後も努力を続け、様々なジャンルの作品にチャレンジしたいと思っています。
最後に、翻訳にあたってお世話になったすべての方々に心からお礼を申し上げます。
笹山裕子
翻訳ストーリー
本だけはたくさんある家で育ち、幼い時分には家庭文庫に通って物語の世界を満喫し、気がつけば「息をするように本を読む」人間になっていました。本棚に並ぶ背表紙をながめているうちに、「石井桃子、松岡享子、神宮輝夫、高橋健二……」といった名前に気づき、「翻訳家」の存在を認識したのは、小学校高学年頃だったと思います。リビングのテーブルに大辞典をどかっと置いて仕事をしている翻訳家の姿をテレビドラマでみたのも、その頃だったでしょうか。別の言葉で書かれた本を日本の読者に届けるという橋渡しとしての役割や、本を読むのが仕事になることに魅力を感じるようになりました。
大学は英語学科に進み、子どもの頃からの愛読書の数々が生まれたイギリスにも留学。卒業後は外資系銀行勤務を経て、新聞社系列の翻訳会社で7年ほど和英翻訳の仕事をしました。並行して翻訳学校で文芸翻訳の勉強も始め、転居と出産を機にフリーランスになりました。これまで主に出版翻訳に携わり、ビジネス書などのノンフィクション、フィクション、絵本などを訳しています。
文芸翻訳の勉強を始めた頃、翻訳の魅力は「年を取るのも悪くない」と思えることだと気づきました。長く生きていろいろなことを知り、経験し、感じるうちに、原文理解や訳語選択の精度が上がっていく。どんなことでもいつか翻訳で役立つかもしれない、無駄なことなんてひとつもないと思ったら、少しは楽に生きられる気もしました。そして原文の読者と同じ読書体験を日本の読者にしてもらえるような訳文が書ける、職人のような翻訳者になるのが目標になりました。実際に年を取りつつあるいま、視力や集中力の低下など、加齢は翻訳作業に必ずしも役立たないと実感する日々ですが、初心を忘れず、「年を取るのも悪くない」と思えるよう、精進を続けていくつもりです。
※ほかに多くの共訳、翻訳協力案件があります。
宮本寿代
翻訳ストーリー
かつての私にとって、翻訳はもっぱら読者や視聴者として接するものでした。でもあるとき勤務先で、思いがけず書籍翻訳の作業に触れる機会に恵まれました。そして英文法や辞書を頼りにしても日本語の文章としてうまく表現できないこともあるのを実感すると同時に翻訳に興味も湧き始めます。のちに勉強を開始し、やがては仕事にしたいと思うようになりました。トランネットを通じ、幸いにもリーディングや下訳等の機会を頂くことはありましたが、そう簡単に仕事を得られるわけはありません。初めて上訳者に決まったとき、その本は概要作成から関わったものでもあり、本当に嬉しかったです。いざ翻訳を始め、懸命に訳したつもりの原稿をチェッカーの方に見て頂くと、驚くほど大量かつ的確な指摘事項が返ってきました。正確に訳出するのはもちろん、事実関係を細かく確認する重要性を痛感しました。チェック済みファイルを開くのが毎回怖いくらいでしたが、そんなときコーディネーターの方の励ましやお心遣いが支えになりました。この本のすぐれた訳書を作り上げるという目標にみんな一緒に向かっているのだと自分に言い聞かせていました。翻訳はひたすら孤独な作業だと思い込んでいたのですが、多くの人たちのお力をお借りしてできるのだと気づきました。今でも、リーディングや下訳やチェックや上訳といった翻訳作業に取り組む度に、さまざまな事実や知識はもちろん、やり方、考え方など、学ぶことは尽きません。締め切りが近づくと疲れも出ますし苦しい場面もありますが、それよりも、まもなく終わってしまうなんて残念という思いのほうが強くなります。
学生時代に数学を学んだ私は、その後システムエンジニアとして仕事に就きました。そしてひとつの出会いから翻訳という目標を持ち、今に至ります。翻訳者としてはまだ発展途上。でもこれまでに頂いた数々の機会に感謝し、これからもどうにか翻訳に関わり続けたいです。
柴田浩一
翻訳ストーリー
苦手ではないが好きでもない、学生時代までの英語はそんな微妙な存在でした。工学系の勉強をする中で、翻訳された専門書には大いに助けられてきました。就職してからは原書を読む機会も増え、かつての英語の授業で悩まされた文学系のテキストに比べると、ずいぶんと読みやすく感じたのを憶えています。面倒臭かった英語は必要不可欠な道具へと変わりました。
十数年勤めた職場を辞め、子供の面倒をみながらできそうな仕事として在宅での翻訳を選びました。とはいえ未経験者がすぐに受注できるような世界ではありません。開店休業状態の中で見つけたのが、当時まだ草創期に近かったトランネットです。さっそく入会してオーディションに応募し、翻訳講座も受講するなど修行を始めました。
レベルチェックやオーディションでの評価が徐々に上がっていく中で、応募したJob Shopのチェッカーの仕事を依頼されました。これが結果的に良い勉強になります。選出された訳者さんの書く文章は読みやすく、たいへん参考になりました。チェッカーの作業には原著者の視点と読者の視点の両方が必要ですし、原書と訳文のそれぞれに含まれている怪しい記述を見つけ出すコツもつかみました。
そうこうするうちに、いよいよ翻訳の仕事が回ってきました。得意とする自然科学系の書籍です。他の投稿者さんの多くが本欄に書かれてきたように、コーディネーターさんやチェッカーさんをはじめとする様々な方に助けられながらの納品でした。自分の名前が表紙に載った本が書店に並んでいるのを見ると感激もひとしおですが、出版に至るまで尽力されたすべての皆様の想いに対する責任も負っているのだと、身の引き締まる思いも感じています。
トランネットとの出会いが出版翻訳への道を開いてくれました。この仕事を通して、若い頃に世話になった数多くの翻訳書に対する恩返しが少しでもできたらいいと思っています。
※柴田様にはほかに多くの共訳、翻訳協力案件があります。
布施雄士(第598回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
以前まで私は獣医師として、動物や基礎医学の研究をしていました。海での生活に適応したアザラシの呼吸の不思議を調べたり、農場で暮らしている牛や豚に使うワクチン開発に携わったり、小型の魚を対象にして薬の効果を評価したり……。
色々な研究プロジェクトに参加するうちに、1つ気づいたことがありました。それは、自分が「文章を書くことが得意」ということです。「大学に行くような人なら、文章なんて誰でも書けるのでは」と思うかもしれませんが、整然とした読みやすい文章を書けるようになるにはトレーニングが必要で、たとえ大学を出ていても文章が得意な人は意外と少ないのです。これに気づいた私は、2018年4月からフリーランスとして、自分の得意な生物学や医学を中心に、ライティングと翻訳の仕事を始めました。
書籍翻訳の仕事をいただいた時は、「本1冊」という膨大な文章量に心が押し潰されそうでしたが、いざ取り掛かってみると、自分の得意な「書く」スキルを生かせる仕事であると気づきました。翻訳はたしかに「外国語を日本語にする作業」ですが、一般向け書籍では、いかに読み手にストレスを与えず、スラスラと読んでもらうかが大切です。そのため、適切な言葉と語順を選び、読みやすいリズムで文章を組み立てていく作業は、自分の培ってきた「書く」スキルを十分に生かせるものでした。また、私がこれまでに任せていただいた書籍はいずれも、誤訳が致命的なミスとなりやすい専門用語の多いものでしたが、自分の専門に合った仕事をいただけたおかげで、なんとかクリアできました。これからも、「読みやすさ」と「正確さ」という翻訳の両輪を磨き上げていきながら、新しい本との出会いを楽しみに仕事を続けていこうと思います。
出版までの長い道のりを共に歩いていただいたコーディネーターさんには、この場を借りてお礼申し上げます。
私個人のサイトです:www.akaribiology.com
小谷力(第160回英語Job Shop作品入賞者)
翻訳ストーリー
〈きっかけ〉 ほぼ10年にわたり英日翻訳を勉強してきたが、今更ながらに日本語表現力の大切さを痛感している。そのためには日本語でも英語でも「優れた書物」の熟読が必須だが、大学院時代(シカゴ大学)は専門分野(国際政治)以外の書籍を読む余裕はほとんどなく、たまに山本周五郎の小説などで「日本」を懐かしむ程度の貧弱な読書生活だった。 帰国後は国際ビジネスコンサルティングの仕事に従事しながら、ノンフィクション、フィクション共に原書も翻訳書も楽しく読めるようになり、次第に翻訳という「仕事」にも興味を持ち始め、体系的に英日翻訳の勉強をしたいと考えトランネットの会員になった。
〈翻訳作業の感想、悩み〉 トランネットのオーディションでは関心のある課題に手当たり次第に応募し、徐々に「BO」や「B+」の評価をコンスタントにいただき、さらにJob Shopにも挑戦するようになれたのは、翻訳「作業」の楽しさに目覚めたからだろう。ことに「解読困難な表現」や「日本語になりにくい」文章構成と格闘し、何日もの調査、推敲を重ねた挙句、「ドンピシャ」な日本語表現に辿りつけたときの快感は、翻訳ならではのものと言えよう。翻訳雑誌主催の翻訳コンテストなどで最優秀賞を含めいくつか受賞を重ね、リーディングやチェッカーの依頼を受けるようになり、下訳の仕事から始め、最近では半年に三冊の翻訳書が出版されるまでになった。
〈今後の抱負〉 独りよがりの翻訳文にならないように、自分の好きな翻訳者の作品を熟読して日本語表現を学ぶ(模倣する)ことも大切で、日本語の感覚に優れ、語彙の豊かな「添削者」の支援、協力があれば理想的だろう。当然ながら日本語文章力の勉強は必須で、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、丸谷才一、井上ひさしなどなど、優れた日本語の使い手による『文章読本』は翻訳を学ぶ誰もが備えておくべき書物だ。今後は欧米の新人作家による優れた文芸作品を翻訳する機会を得られるよう精進を続けるつもりだ。
ヤナガワ智予
翻訳ストーリー
小学生の頃、図書室の床にペタンと座って本を読むのが好きでした。寄木張りの床の香りと背中の本棚の本の匂いが、なんとも心地良かったことを思い出します。4年生だったかな、ある日手に取ったのは『怪盗ルパン全集1巻/奇巌城』(ポプラ社)。そう、あのルパン三世のじっさま(わかります?)、怪盗アルセーヌ・ルパンが主人公の推理小説です。私は、すっかり夢中になり、誕生日やクリスマスにおねだりしたり自分のお年玉を使ったりして全30巻を揃えました。今でも、私にとっては特別な図書です。
それから紆余曲折、大人になった私は同時通訳者を目指しますが、自分に向いていないと思い始めていました。そんな折に出会った1冊の本。日本語で書かれているのに、ストーリーがどうにも頭に入ってきません。何とか読み終えたものの、私の眉間には最後までシワが寄ったままでした。後にそれが、映画化もされたホラーコメディ小説の邦訳本だったことに気付き、原書を読んでみてびっくり。すごく面白かったのです。翻訳の良し悪しが、その本の運命を決めてしまうことを知りました。小学生の私が怪盗ルパン全集にハマったのは、翻訳が上手だったから……。目から鱗の瞬間でした。
ほどなくして、トランネットのオーディションを受け始めました。もちろん落ちてばかり。でもリーディングのお仕事で随分鍛えられ、数年前にようやく訳本を出す夢が叶いました。出版翻訳はジグソーパズルのよう。状況把握や事実確認のリサーチをしまくって、やっと見つけたピースがピタリとハマったときの達成感ったら……! 訳者にしっかり寄り添い支えてくださる担当コーディネーターの方々にはいつも助けられ、また学ばせていただいております。原作者が最初から日本語で書いたかのような翻訳を、がモットーです。いつの日か、私の訳書をきっかけに誰かが読書を好きになる、なんてことがあればいいな。小学生の私と『怪盗ルパン』のように……。
十倉実佳子(第156回イタリア語Job Shop作品入賞者)
翻訳ストーリー
イタリア語を学ぼうと決めたのは高校生の頃。映画や本の影響が大きかったと思います。その頃の自分は、翻訳家になるのが「運命」だと信じていました。高校の卒業文集にはお気楽に「イタリアに留学後、〇〇先生のような翻訳家になる」と綴っているくらいですから。今から思えば、よくこれほど大それた夢を恥ずかしげもなく宣言できたものだと思います。しかし、留学で自分の実力不足を思い知り、あっけなく自信喪失。大学卒業後しばらくはイタリア語から遠ざかっていました。
あるとき戯れに応募した英語の翻訳コンテストで賞をいただくことがあり、これを機に通信教育で翻訳の勉強を始めました。講座が終わった後も独学で勉強を続け、イタリア語の勉強も再開。そしてコンテストやオーディションに挑戦するようになるのですが、最終選考まで残ることはあっても、「最後の1人」にはずっとなれませんでした。そんな折、Job Shopで珍しくイタリア語の翻訳者が募集されていたので、力試しのつもりで応募してみたところ、運よく採用されたのです。それが本書“Il Piacere del Vino”でした。ワインの知識に自信のなかった私は図書館からワインの本を山のように借りて調べ、それでも解消できない疑問点はワイン関係の仕事をしている友人やソムリエをしている知人に尋ねました。原文で不明瞭な部分はイタリア人の友人に相談し、また、トランネットのコーディネーターさんとチェッカーさんにもずいぶん助けていただきました。こうして初めての翻訳書を出させていただくに至ったのですが、これもひとえに皆さま方にお力添えいただいたおかげです。本当にありがとうございました。
このお仕事をきっかけに、少しずつ翻訳のお仕事をいただけるようになっていますが、翻訳者としてはまだまだスタートラインに立ったばかり。たゆまずに努力を続け、丁寧な仕事を心がけたいと思っています。
片神貴子
翻訳ストーリー
翻訳の仕事に興味をもったのは、20年ほど前、電機メーカーを退社して、一生続けられる仕事を探しているときでした。そんな折にトランネットが設立されたことを知り、さっそく入会。オーディションに応募したところ、訳者には選出されませんでしたが、後日、美術書の翻訳原稿を校正する仕事を依頼されました。これが出版翻訳での初仕事です。
大学で物理学を専攻していたこともあり、当初から科学児童書を訳したいと思っていたのですが、この分野は翻訳点数そのものが多くありません。どうすれば仕事を得られるものかと思案していたところに、チャンスが巡ってきました。オーディションに太陽系をテーマにした児童書の課題が出題され、幸いにも翻訳者に選ばれたのです。この1冊が名刺代わりになって、その後もこの分野の仕事がもらえるようになりました。細々ながらも途切れずに仕事を続けてこられたのは、科学児童書というニッチな分野を専門にしたからだと自覚しています。
現在は子ども向け・一般向けの科学書翻訳に加え、サイエンス誌とナショナル ジオグラフィック誌の翻訳も行っています。子育てもようやく一段落したので、理系のバックグラウンドを活かしつつも、今後は大好きな建築や美術に関する課題にも応募していきたいと思っています。幅広い分野の翻訳に挑戦できるのが、トランネットの大きな魅力です。
最後に今回の訳書について。この夜空の写真集は単に美しいだけでなく、写真に添えられたキャプションも読み応えがあります。ただ、著者は英語ネイティブではなく、専業の物書きでもないので、文章に少々癖があり、訳すのに苦労しました。加えて、事実確認が必要な箇所も多く、別件の翻訳も同時進行していたため、当時はかなりひっ迫した状態でした。なんとか期日内に仕上げられたのは、美しい写真が発する癒しパワーと、担当コーディネーターの方による的確なチェックのおかげです。ありがとうございました。
市ノ瀬美麗
翻訳ストーリー
初めて翻訳という仕事を意識したのは、大学生の頃でした。本と英語が好きという単純な理由で文学部の英文科に入ったのですが、課題でイギリスやアメリカの文学作品を読むことがあり、訳書と照らし合わせて予習をしているときに、気がつくと「私だったらこんなふうに訳すだろうな」と自分なりの訳文を考えていました。そこから、翻訳という仕事っておもしろそうだな、楽しそうだな、と思ったのを覚えています。
それから数年後、運とご縁に恵まれ、トランネット様を通じて初めて翻訳のお仕事をいただき、翻訳者としてデビューさせてもらうことになりました。それもロマンス小説のシリーズを3冊! その後もありがたいことに継続してお声をかけていただき、ロマンスだけではなく、いつか訳してみたいと思っていたミステリーや映画原作本など、10年ほどの間に様々なジャンルの作品に携わってきました。もともと「好きなことを仕事にしたい」という思いがあり、毎日大好きな本(小説)に関わることができて、本当に幸せでした。(幸せといえば、4年ほど前から猫を飼い始めたのですが、寒い時期に膝の上に乗ってくる猫をなでながら翻訳作業をするのも至福の時間です。)
最近では、映画や海外ドラマも大好きなので、数年前から映像翻訳の勉強を始め、ようやく少しずつですが字幕翻訳のお仕事をいただけるようになってきました。出版翻訳も映像翻訳もできる翻訳者として活躍するのが夢ですが……もともと不器用というか、要領が悪いもので、プロとして両立できるようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。それでも「好き」の気持ちを原動力に、今後も日々精進していきたいと思います。
多田桃子
翻訳ストーリー
今月、落ちていたどんぐりを苔の上に置いて、発芽を待つことにしました。十年ほど前からミニ盆栽(林檎・花梨・柿・柘榴など実のなる木ばかり)をベランダで育てているのですが、とりあえず十年間一鉢も枯れずに自然と苔を生やし、小さいながらも気まぐれに実をつけてくれているので、そろそろ長年夢見ていたどんぐり盆栽に挑戦してもいいのではないかと思い立ったのです。どんぐりを発芽させてひたすら水をやっていたら、たぶん十年か二十年後には小さな木になって、さらにはまたどんぐりが結実した姿を見られれば幸運です。
子どものころ、どんぐりが好きでした。よく遊びにいっていた動物園のはじにある林でどんぐりを拾い集め、ティッシュで磨いて、背の高さや色の濃さ順に並べては眺めて過ごしていたように思います。そうしたマイペースな時間の過ごしかたに慣れていたからか、幼稚園に入ったばかりのころ、無口でした。みんなが話す言葉に反応しようとはしていたはずですが、言葉はすごい速さで流れていってしまい、置いていかれるような感覚になっていたのかもしれません。そんななか、当時一週間か二週間ごとに一冊ずつ手元に届いていたシートン動物記と世界の童話の絵本シリーズを読んでいるときが、いちばん心の落ち着く時間でした.本のなかの言葉や挿絵はずっとそこにあって、いくらでも読み返しては細密な絵のすみずみまで探険できる、まるで時間の流れの速さが違う自由な森へ、別世界へ入っていけるような安心感がありました。
どこにいても本を読むのは自由だと思って、大学生のときには動物生産学を学びながら、海外の好きな作家の小説を原書で読んでいました。まだ日本語に訳されていなかった作品やシリーズの続きを読めるようになって、うれしかった。原書で読んでいた本の日本語版が出ると、そのこともうれしかった。そんなようなささやかな喜びがきっかけで、翻訳を学び始めました。
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