トランネット会員の翻訳ストーリー
かわむらまゆみ(第436回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
本が好き。その情熱をどう昇華させればいいかわからないまま就職し、真面目に働いていた時、ある言葉が舞い降りてきたのです。「本が好きなら翻訳家になればいい」単純な私はさっそく某社の通信教育を始めました。優秀ならすぐ本を出せるはずでしたが、力不足で修了。他社のコースも同様。そうこうするうちに妊娠、退職、出産、子育てと、本を開くことさえままならない毎日が続き、いつかは翻訳家にという夢も忘れかけていました。でも3人目の子が乳児期を卒業した頃、ふと思ったのです。「やっぱり翻訳家になりたい」
一念発起してトランネットに入会し、オーディションに何度か応募してみたものの惨敗続き。自分には才能がないと納得した頃、4人目の子を授かりました。トランネットは潔く退会し、またもや子育ての日々。このままで一生終わるのかしら、とぼんやり考えていた時、またもやあの声が響いてきたのです。「本が好きなら翻訳家になればいい」
何かに導かれるように再びトランネットの門を叩きました。再入会して最初のオーディションは愛する音楽関係の本。まだハイハイもしない末っ子をおんぶしながら課題文に取り組みました。「オーディションの本ではないのですが1冊訳しませんか」とコーディネーターの方からご連絡をいただいた時は、「こんな私でいいんでしょうか」と信じられない気持ちでした。そして村上春樹さんのエッセイを思い出しました――頑張っていれば、いつか翻訳の神様がごほうびを下さる。
それ以来、光栄にも何度かお声をかけていただき、さらに愛する児童書のオーディションでも入賞することができました。そのたびに「翻訳の機会を恵んで下さってありがとうございます。この1冊が、誰かの心に、一時でも明かりを灯しますように」と祈りながら訳します。オーディションは相変わらず惨敗続きですが、こう思うのです。「こつこつ頑張っていれば、いつかまた翻訳の神様が微笑んでくれる」
みずしまあさこ(第432回・第457回オーディション作品入賞者)水島朝子(第447回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
翻訳という仕事を知ったのは、高校生の時でした。小学生のころから、外国の作品が好きで『赤毛のアン』や『大草原の小さな家』のシリーズを読みあさっていたのに、なぜその年齢まで、誰かが日本語に訳していることに気づかなかったのか? 不思議です。とにかく、もともと異文化と言葉(英語も日本語も)に興味があったので、「こんなおもしろそうな仕事があるなんて!」と翻訳を勉強しはじめました。
気づけば、それから数十年。細くて長い道を、道草をしながら歩いてきました。もちろん、ガンガン勉強して、若くしてチャンスをつかんでデビューしたかったのですが、進学や、就職、結婚、出産、子育てなど身の上の変化を受け入れていたら、こうなってしまいました。
子供が小さいときは深夜に、少し大きくなってからは早朝に勉強。盆や暮れに帰省するときは、両親や義理の両親が子供と遊んでくれるので、私にとっては勉強のチャンス。必ず原書やトライアルの原稿を持参していました。子供が小中学生のころが、私にとっては一番忙しい時期で、派遣社員として働きながら、ときにはPTAや部活の役員も引き受け、翻訳の勉強も続けました。
そうやって、生活に合わせながら細々と勉強を続けるうち、いつのまにか下の子供も高校生に……。というと、涙ぐましい努力をしてきたみたいですが、自分のしたいようにしてきただけ……。写真や、生け花にはまったり、ロックバンドに情熱を注いだりと、いろいろな道草をしたのも、自分がそうしたかったから。しかも、今、道草で得た経験や知識が役に立っていると感じます。
狭き門だとわかっているのに、どうしても児童書や絵本の翻訳に目がいってしまうのも、やっぱり自分がそうしたいから。児童書や絵本を訳しているときが、一番「言葉っておもしろい!」と気持ちが高ぶります。ここまで書いてきて、思います。やっぱり私はこの先も、何があろうと、翻訳を続けていくんだろうなあ!
加藤久美子(第433回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
元来、「スーツを着て、満員電車に乗って、9時5時勤務」というものが性に合うとは思えず、自宅で海外ミステリなぞを翻訳して、それで暮らしていけたなら……などと夢想してはみたものの、当然ながら現実はそう甘くありません。それでも、自分の夢を実現させるまでの長~い準備期間の第一歩として、企業内での翻訳の仕事に(とりあえず、と言ってはなんですが)就いたのが10年ほど前です。
よくいわれることですが、文芸翻訳の仕事のみで生計を立てるのはなかなか難しいことです。悠々自適の退職者の方や有閑マダムでもないかぎり、二足のわらじを履くことになるでしょう。限られた時間をどれだけこの仕事に割くことができるのかが問題になってきます。
トランネットさんの課題概要には、「分量:日本語仕上がり約何枚」と書いてあるので、私の場合、まずはここをチェック。どんなに魅力的な作品でも、分量の多いものは泣く泣く見送ります。「これくらいの分量なら、なんとかなるかも」と、エイっと応募し、幸いにもお仕事をお受けする機会をこれまでに何度かいただきました。ですが、ほぼ毎回、納品日までの間、睡眠時間を削り、通勤電車の中でも原稿を読み、遊びの誘いもことごとく断り、週末は家に引きこもり、翻訳作業に明け暮れるハメになります。作業半ばで、「どうして引き受けてしまったのだろう……」と後悔したことも1度や2度ではありません。
それでも足を洗うことができない(笑)のはなぜなのか。それは、本を通して様々な情報を得られるから。調べものの過程で新しい発見があるから。さほど関心のなかった分野にも興味を持つきっかけができるから。そしてなにより、翻訳は楽しい作業だから、です。
楽しんで翻訳するには原作に面白みを感じることが大前提となります。トランネットさんは多彩なジャンルの作品を課題として出されていますから、どなたにもきっと、「運命の出会い」があると思います。
※加藤久美子様には他にも数回の入賞歴と共訳、翻訳協力での出版実績があります。
辻仁子(第437回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
翻訳学校に通ったことをきっかけに翻訳の楽しさを知り、この道に進みたいと決めたのが5年ほど前。出版翻訳への憧れはあったものの、なかなか適性に自信が持てず、フリーランスで実務翻訳の仕事を受けながら勉強を続けていました。
以前から現代史や時事問題に関心があり、挑戦するならノンフィクションやビジネス書と考えていました。それを念頭にオーディション情報をチェックしていたところ、目に留まったのがこの課題です。
原書の著者は北京在住の米国人ジャーナリスト。強大化する中国の抱える脆さやチベット解放運動のジレンマを、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世をはじめ、多くの人々への丁寧な取材を通して描き出すルポタージュです。まさに望んでいたジャンルの作品で、一気に期待が膨らみました。
課題文はダライ・ラマが拠点とするインド・ダラムサラの描写で始まります。そのまま映画の1シーンになりそうな臨場感のある表現と、テンポの良さに引き込まれました。訳出に取り組みながら、「目指すならこういうタイプの作品かも」という、過去にはない手応えを感じたのです。
とはいえ、まさか入賞できるとは思いませんでしたから、連絡をいただいたときは感激しました。出版社(選定者)の方が描いた訳書のイメージを共有できたことが何より嬉しく、即座に翻訳を引き受けました。
原書は約300ページで、翻訳期間は約4カ月。わたしにとって初体験の長丁場です。自分の表現力の拙さ、作業の遅さ、国家や宗教といった重いテーマを扱うことへの緊張感……。ときに弱気になりながらも、コーディネーター様のサポートや家族の応援のおかげで乗り切ることができました。
そして後に残ったのは、1冊まるごと訳したという達成感と、やっぱり翻訳は楽しいという確信です。「翻訳を仕事に」という漠然とした夢を、現実的な目標として考えられるようになりました。長い道のりですが、マイペースで進んでいこうと思います。
小川久美子(第428回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
ロマンス愛読歴は長いです。ハーレクインに代表される、必ずハッピーエンドで終わるロマンス。近くの図書館にあったので、日本で出版されるようになった初期のころから愛読していました。邪道と思いつつも、我慢できずに本の結末を途中でのぞき見てしまうくらいハラハラドキドキに弱い私にとって、最後には必ず幸せな気分になれるとわかっているロマンスは、不動のストレス解消法なのです。
ですから、オーディションに参加しようと決めたときには、ロマンスに的を絞ることに決めました。産業翻訳の分野で活躍している翻訳者さんがそれぞれ得意分野を持っているように、自分がよく知っている分野を志すのが筋だと思ったのです。
それでも初めての応募でチャンスをいただけたのは、本当にラッキーでした。ロマンスのことならお任せなんていうのは言うまでもなく私の錯覚で、実際にはそんなに簡単なものではないと思い知らされたのですから。特にラブシーンは難しく、いままで無造作に読み流してきたことを申し訳なく思うようになったほどです。また、編集者さんにたくさんのご指摘を受け、自分の日本語力のなさも実感しました。人の書く文章にはそれぞれ癖があり、短い文章では目立たなかったものが、一冊分という長い分量になってみると途端に際立ってくるということを知りました。
実は翻訳後、ロマンスを楽しめなくなりました。言葉の選択や訳し方など、とにかく翻訳の部分にばかり意識が向くようになり、どっぷり夢の世界に浸ることができなくなってしまったのです。それがちょっぴり悲しいですが、いつかもっと自分の翻訳に自信が持てるようになったら、また楽しくロマンスを読めるようになるかもしれません。
翻訳はやればやるほど奥が深く、日本語に対する感覚が研ぎ澄まされていくようで、仕事にできることに喜びを感じています。力不足を思い知らされることも多いですが、あきらめずにこれからも続けていきたいです。
喜多直子(第415回オーディション作品入賞者)きたなおこ(第440回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
告白その1、私のファザコンレベルは結構高い。告白その2、そんな私から生まれ出た息子の瑛陸は着々とマザコン道を歩んでいる。告白その3、私は親ばかレベルも、結構高い。
小さい頃の楽しみは、父による就寝前の読み聞かせだった。お気に入りは「アリババと40人の盗賊」。大きな声では言えないが、大学時代に寝込んだ時も、父は自分の本棚から歴史ものを取り出して読んでくれた。そんな父である。
大学卒業後、中学教師となったが1年でリタイア。翻訳を勉強したいと父に告げた時は、「何じゃそりゃ」と思ったはずだ。何にも言わなかったけれど。
それから10年後、トランネットさんを通じて翻訳をさせて頂いたのが『ミルトンズ・シークレット』だ。幸運にも、これまで何冊か訳書を出させて頂いたが、この一冊は特に思い出が深い。物語を追う私の目は、「ミルトンとおじいちゃん」を「瑛陸と父」として見つめていた。
一人っ子の息子は、良く言えば優しい性格で、学校で辛い思いをすることが度々あった。そんな時は「おじいちゃんにお電話」。何やら話し込む2人――物語の場面に重なった。
『ミルトンズ・シークレット』は、独特の世界観で描かれた「今を生きる」ための手引書だ。その世界観に、訳者はいくら思い入れを持っても、色を入れるわけにはいかない。しかし、物語の一部となる楽しみ、ある意味の一体感を、私はこの一冊を通して味わうことができた。
父からの読み聞かせというプレゼント。今は私が毎晩、息子に贈り続けている。もちろん「ミルトンとおじいちゃん」の物語も。初めて読んだ時、「えらかったね、ママ」と抱きしめてくれた。私は「ありがとう」と言って息子を抱きしめた。
告白その4。私の夢は、息子と夫が愛してやまないサッカー関連の書物を訳すことだ。この夢が叶う時には、息子はとうに私の背丈を追い越しているだろうか。そして私を見下ろして、こう言ってくれるだろうか。「やるやん、オカン」と。
亀田佐知子(第404回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
深紅の表紙が美しい『上手な愛し方The Rules of Love』が書店に平積みされているのを目にした瞬間、これまで重ねてきた落胆や挫折感、報われない悔しさが吹き飛ぶ気がしました。通信制の翻訳講座受講を経て独学を続け、初めてシノプシス作成の依頼をうけたのが今から約10年前。ビジネス書にマニアックな軍事モノ、スピリチュアルにエネルギー問題――ジャンルの好みや得意・不得意はとりあえず「ないことにして」、テキストを追う日々の始まりでした。シノプシスの経験を積めばいずれ翻訳者としてお声がかかる……という一心でしたが現実は厳しく、分担訳、下訳と少しずつ階段をのぼりつつも単独で訳書を出すにはいたりません。能力・気力の限界を感じることもたびたびでした。
本書のオーディションへの応募も、ある意味「最後の悪あがき」でした。これでダメならひとまず休もう、一区切りしよう……そんなふうに思いながら、喫茶店で課題を推敲したのが思い出されます。ただ、短い課題部分からも滲み出てくる著者のウィットや、人生を見つめる温かいまなざしに触れ、訳出作業が楽しかったことも印象に残っています。なによりいま嬉しいのは、日本語で伝えることに喜びを感じ、心底共感できる内容の本を自分の名前で訳す機会を与えられた幸運です。見るからに「恋愛マニュアル」という体裁の本書ですが、実は、普遍的な愛の法則が示されています。私の一押しは友情を扱った第4章で、残念ながら途絶えてしまった友情も、長続きしている友情に遜色なく素晴らしい……という「ルール84 終わってしまった友情に感謝する」などは、訳しながらたくさんの友人の顔が浮かび、ボロボロと泣けてきました。また、これまで翻訳を通して出会った多くの方々や書籍、苦かったり甘かったりの経験もみな、そうした感謝の対象だと実感しています。今後もさらに素晴らしい出会いを期待して、自分なりの翻訳生活を楽しんでいければと思います。
遠藤康子(第418回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
初めて英語という言語を真に意識したのは、ミュージシャンのボブ・ゲルドフがエチオピア飢饉の救済を訴えた曲「Do They Know It’s Christmas?」を耳にした中学生のときでした。ガツンと殴られたような衝撃を受け、それ以降、洋楽にどっぷりとつかって今に至ります。20代になって翻訳者を夢見るようになりましたが、原書をなかなか読みきれずに挫折の日々。そんなときに友人が譲ってくれた本がシドニー・シェルダンです。どうせ無理、そう思いつつページを開き、気がついたら読み終えていました。以来、ボブとシドニーは心の恩師。今こうしてオーディションについて記しているのも、このふたつの出会いがあったからこそ、です。
入賞者の方は運命の1冊との出会いを「びびびっ」と表現される方が多いようですが、私の場合は「じわっ」という感じだったでしょうか。18世紀末のアイルランドを舞台にしたロマンス『秘められた恋の行方』は、主人公イライザがお屋敷の舞踏会を抜け出す月夜から始まります。課題文を読んだ私の心に、月光を浴びて銀色に光る屋敷が徐々に形をなしていきました。よもや入賞するとは思いもよりませんでしたが。その後の4カ月間、想像力というよりむしろ妄想力たくましい私の頭は、ダブリンの喧騒や草原の緑の深さで満たされ、ヒロインのドレスが立てる衣ずれの音や撃ち合いシーンの鼻をつく臭いまでリアルに感じられるほどでした。翻訳は五感のフル活用が必要だったのです。
元来のそそっかしさが不安の種でしたが、コーディネーターさんとチェッカーさんの丁寧かつ絶妙なサポートに支えられ、無事に終えることができました。翻訳はひとり黙々と取り組む仕事のように思えますが、決して孤独ではありませんでしたし、心は色彩や香りや感情であふれんばかり、得も言われぬ体験でした。これもすべて、周囲の支えと、自分の妄想力、そしてボブとシドニーのおかげなのです。
※遠藤康子さんには、オーディション入賞をきっかけに、オーディション作品以外にも、下訳、分担訳を含む多くの訳書を依頼しております。
小巻靖子(第64回・第419回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
英語を使う仕事がしたい。そんな漠然とした思いはあったものの、明確な目標のないまま都市銀行に就職。でも、そこで調査部に配属され、海外の銀行のレポートや経済関係の記事の翻訳をすることに。思いがけず希望がかなったのです。翻訳は奥が深く、むずかしい。でも、むずかしいから、やりがいがある。「ずっとこの仕事をしていきたい」と思いました。このとき翻訳と出会えたのは本当に幸せでした。
その後退職し、結婚、出産、アメリカへの転居と、翻訳の仕事から離れてしまった時期がありました。でも、翻訳のことはいつも頭にあって、「時機をみてまたいつか」と思いながら、コンテストなどに参加していました。
トライアルには受かったけれど、なかなか仕事に結びつかない時期もありました。そんなとき、新聞にトランネットのことを紹介する記事が。それまで実務翻訳を現実的な選択と考え、書籍の翻訳なんてかなわぬ夢と思っていたので、この記事に胸が躍りました。数度目の挑戦で翻訳者に選ばれ、お知らせをいただいたときの「えっ、私が!?」という思いと、同時にこみあげてきた喜びは今もはっきりと覚えています。
何をしても人一倍時間のかかる質で、お仕事をいただくと数カ月、家にこもりきりの生活が続きます。それでも翻訳という仕事が好きです。原文の意味を過不足なく伝え、ぴったりと思える表現ができたときのうれしさは格別。新しい本に出会って、新しい世界を知るのも、私には大きな喜びです。たくさんの方に支えられ何冊か本を訳すことができましたが、ここまで来るのにも人一倍時間がかかりました。でも、私は私のペースで、じっくり、丁寧に、納得のいく仕事をしていくことができればと思っています。
※小巻靖子さんには、オーディション入賞をきっかけに、オーディション作品以外にも、分担訳を含む多くの訳書を依頼しております。
矢野真弓(第416回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
これはわたし向きの作品かも ――“Romeo, Romeo” のオーディション課題を見てまず思ったことがそれでした。理由はしごく単純で、現代物であること、イタリア語やスペイン語が出てくること、そしてコメディ・タッチであること。「まさに運命の出会い!」と思うほどビビッときたのです(単なる思い込みとも言いますが……)。
かくして、「これは取りにいくしかない」くらいの気合を入れて応募したにもかかわらず、いざ合格メールを受け取ってみると、「え? 本当にわたしでいいの?」と信じられない気持ちでした。なにせ福引はいつもハズレのティッシュというくじ運の悪さなのに、多くの応募者のうちのひとりに選ばれるなんて、と。しかもロマンスでは、他校のトライアルやH社のオーディションで芳しくない成績ばかりもらっていたのですから。ただ、ユーモア・ミステリーが大好きなので、ラブコメであるこの課題はとてもすんなり自分のなかに入ってきました。きっと、ふだんユーモア系ばかり読んでいるわたしの文体が作品の雰囲気とたまたまマッチしていたのだと思います(下手の横好き、恐るべし!)。
実際の翻訳作業では、とにかく時間が足りないことが悩みでした。もともと仕事が遅いうえに、迷うことがあっても、これまでの共訳や下訳と違って誰かに相談することもできません。それでも、さまざまな犠牲を払いつつ(家のなかがぐちゃぐちゃとか!)も文庫本が出来上がり、見本を手にしたときはやはり感動でした。「おもしろかったよ」と言われると、本当に幸せな気持ちになります。そして、そのような読者の方々のおかげで、2作目の『ドクターと結婚しない理由』も今年の2月に出させていただきました。できれば、3匹目のドジョウもいてほしいと願っている今日このごろです(笑)。
このデビュー作はわたしにコメディという道に気付かせてくれたように思います。文芸翻訳を仕事につなげるのは本当に難しいですが、できれば、ロマンスとかミステリーとかジャンルに関係なく、おもしろいユーモア小説を発掘し、日本語で紹介していければと思っています(思い込みはさらに続く……)。
小川公貴(第411回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
いきなりこんなことを言うのも何ですが、翻訳の仕事は儲かりません。一部、笑いが止まらないほど儲かっている方もいらっしゃいますが、基本的には儲からないし割に合わない、おまけに作業の大半は調べものという極めて地味な仕事です。ボーナスも老後の保証もなく、やっとこさトライアルに受かって仕事を得たと思ったら、うっかり地雷を踏んでしまい、翌日からは干されて収入ゼロなんてことも(伝聞です)。
かように儲からないし割に合わない、おまけに地味な仕事なのに、翻訳者になるための門戸はとても狭く、特に文芸分野ではその傾向が顕著だと言えます。
現在、文芸翻訳者になろうと思ったら、翻訳学校に通って実績のある翻訳家の先生に師事し、下訳などを経て実力を認めてもらい、仕事を紹介してもらうのが一般的でしょうか。これは有力な方法ではありますが、ある意味デビューの順番待ちみたいなところがあって時間がかかります。そのぶん、お金もかかるし根気も要ります。
一番手っ取り早いのは大手翻訳コンテストに優勝することですが、そもそもコンテストの数自体が少ないので、実際にはかなり難しいでしょう。
というわけで、儲からない仕事なのに、とりわけ文芸翻訳者にはなかなかなれません。で、普通は一本立ちする前に諦めてしまいます。実力があっても。
そんな閉鎖的な翻訳界において、トランネットさんのオーディションは、実力はありながらチャンスに恵まれない迷える子羊たちを照らす、一条の光のようなもの。
このオーディションの合否を決めるのは、運でもお金でもなく実力です。げに明快。
もちろん、たとえデビューできても、最初のうちは思うようには稼げないかもしれませんが、翻訳界という土俵に上がらせてくれる価値は計り知れません。本当の勝負はそこからなので。
私もお陰様で、一応、名刺の肩書きに「フリーランス翻訳者」と胸を張って書き記せるくらいにはなりました。そういう意味でも、トランネットさんのオーディションにはとても感謝しています。
三浦和子(第403回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
オーディションに初めて挑戦したのは、5年前のこと。数回チャレンジし、『50歳までに「生き生きした老い」を準備する』の翻訳協力者に選ばれた。そのときの嬉しさはいまだに忘れられない。コーディネータさんとチェッカーさんに支えられ、四苦八苦しながらも翻訳の醍醐味を味わった3カ月間だった。
今回、『人生にもう一度灯りをともす七つの智恵』の課題文に目を通したときは、絶対にこれを訳したいと思った。すべてを失い、人生に絶望した青年がひとりの老人に出会い、人生を好転させる秘訣を学んでいく。そんなストーリー仕立ての自己啓発書で、誰もが見逃しがちなポイントを押さえている。入賞のお知らせをいただいた後、この本の世界にどっぷりと浸って翻訳作業を進めた。作品の不思議な雰囲気に引き込まれ、訳者の私も癒されていく実感があった。
今では翻訳抜きの生活は考えられないが、スタートを切るのは遅かった。好きな翻訳を本格的に勉強しようと一念発起。翻訳学校に通い、持ち込み企画が初訳書出版につながった。それ以来、ノンフィクションを中心に出版翻訳の仕
事にかかわり、実務翻訳、翻訳通信講座の添削も続けている。
そして、トランネットのオーディションへの応募は、翻訳の実践力をつける絶好の機会となっている。興味深い課題が次々に出題され、さまざまなタイプの翻訳を経験できる。本当にありがたく、トランネットの皆様に深く感謝している。やる気満々でトライしたのに不合格、という情けない展開も少なくないものの、苦労して訳した課題の復習は何よりの勉強になる。失敗を成果に変えていくプロセスが面白い。翻訳することで「七つの智恵」のいくつかを身につけられたのかもしれない。
出版翻訳は大変な仕事だと思う。肩がこる。腰も痛い。でも、とても楽しい。原文の意味をとらえて日本語を紡ぎだす時間は、何物にも代えがたい。私はこれからも、翻訳という仕事に精一杯取り組んでいきたい。
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