トランネット会員の翻訳ストーリー
世波貴子(第136回英語Job Shop入賞者)
翻訳ストーリー
大学院で生物学系の研究室に在籍していたことから、これまで翻訳に関わってきたのは主に医学・薬学・自然科学関係の論文や専門書でした。もちろんとても興味深い内容ばかりだったのですが、一般読者の目に触れるような書籍の翻訳に携わりたいという希望があり、TranNetに入会しました。Job Shopでの入選は今回が初めてでしたが、本書は骨や筋肉の解剖学を「デッサンを描く」という観点から解説している点がとても興味深く、楽しみながら翻訳を進めることができました。監修者様、編集者様のおかげで無事出版に至りましたことに、心から感謝しています。自分が訳した本を書店で見かけたり、友人などにプレゼントできたりと、書籍翻訳ならではの喜びがありますね。ただ、私自身の絵のレベルはアメトークの「絵心ない芸人」並みなので、美術関係の本だと言うと、周囲からは「はあ?」みたいな反応でしたが…。
Job Shopやオーディションは、入賞の有無に関わらず貴重な経験になります。取り上げられる書籍も興味を惹かれるものが多く、応募はしなくとも取り寄せて読んでみたいと思うものもありました。得意分野に近いものが取り組みやすくはありますが、知らないことを調べつつ、あえて他分野の書籍に挑戦するのも面白そうです。もともとの夢は歴史学者か歴史作家。小説でちょっとした賞をいただいた際には、北方謙三先生から「説明はできているが描写ができていない」文章だとの批評を受け、未熟さを痛感しました。同時に、「1行も書けなくても、毎日机に向かえ」とも。翻訳も同じだと思います。自分の技量のなさに落ち込むこともありますが、翻訳版しか読まない読者にとっては訳者の文章がすべて。著者と読者の橋渡し役として、自分を消しつつ原文にふさわしい日本語表現を見つけていく作業には、謙虚さと緻密さと大胆さが求められます。入賞を目指して頑張っておられる皆様と共に、これからも励んでいきたいと思っています。
大野千鶴(第147回英語Job Shop入賞者)
翻訳ストーリー
私とデザインとの付き合いは相当長い。デザイン振興機関での勤務を経て、フリーランス翻訳者になり、デザインや建築の翻訳に携わってきた。この本の課題を見たとき、デザインオタクの自分にぴったりだと思った。とはいえ、過去に何度かオーディションやJob Shopに挑戦したが、最終選考に残ってもなかなか出版社には選ばれない。そんな経験から、不採用を覚悟のうえで「やる気のアピール」のために応募した。第一選考突破の連絡。どうせ最後にはエリート翻訳者が採用されるに決まっている、とのんびり構えていた。そこへまさかの採用通知。その瞬間、私はムンクの≪叫び≫と化した。納期はかなり厳しい。本当に間に合うのだろうか。でもあえて私を選んでくれた出版社の期待に応えたい。
この本は、ロードアイランド・スクール・オブ・デザインで行われている教育法を紹介するもので、各学科の教職員が一章を担当するオムニバス形式だ。つまり、章が変わるごとに内容も文体も単語も変わり、すべてがリセットされる。内容は、デザイン、アート、建築のみならず、哲学、社会学、生物学、自然史、物理学、音楽など多岐にわたり、果てしないリサーチを要した。特に、アリストテレスから、ジョン・デューイ、ミシェル・フーコーまで西洋思想からの引用がやたら多い。それはこの本に限らず、デザイン系の本に共通する傾向である。日頃の不勉強を痛感し、今後の課題として西洋思想史を一から勉強し直そうと心に誓った。休む間もない状況だったが、学生たちの自由な発想に触れられるケーススタディを訳すのは楽しかった。
ある章で執筆者が学生たちに向けて、サミュエル・ベケットの名言を印刷して机に貼るとよいと書いている。何を隠そう、私も即実践した。孫引きになって恐縮だが、前向きになれるこの言葉を紹介したい。"Ever tried. Ever failed.No matter. Try again. Fail again. Fail better." (挑戦した。失敗した。何の問題もない。再び挑戦せよ。再び失敗せよ。よりよく失敗せよ)
山田ふみ子(第556回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
昨年からオーディション課題に猫関連の本がたくさん出るようになり、猫好きな私はそのたびにテンションが上がり、「訳したい! この本訳したい!」と思いながら課題に挑みました。初めて訳者に選ばれた時は本当にうれしくて、連絡のメールを見ながら号泣しました。私にとって今回の本が本当に初めての訳書で、しかもそれが猫の本、こんなにうれしいことはありません。
経験が少なく、あまり人の役に立つような話も持っていないので、自分がオーディションに受かるまでどれくらいかかったのかを書いておきます。まだ一度も受かったことがなくて、「本当に受かる日がくるのかなー」と自信を無くしそうになっている方の参考になればと思います。
4年前に会員登録をして、最初の2年間は一度も翻訳者候補に選ばれませんでした。一次選考通過すら半分以下の確率だったと思います。でもめげません。3年目に初めて翻訳者候補に選ばれ、その時は訳者には選ばれませんでしたが、そのすぐ後の課題でもう一度翻訳者候補に選ばれて、最終的に訳者に選んでいただけました。こんなふうに最初は全然結果が出なくても、続けていれば出ることもあるので、諦めそうになっている人がいれば、ぜひもう少し頑張ってみてください。
諦めずに続けていたことももちろん理由の一つですが、今回私が訳者に選んでいただけたのは、読み物ではなく工作の本だったからかなとも思います。数年前、姉から吹き戻しの作り方をマンガで説明したものがあるからそれを英訳して欲しいと頼まれて、慣れない英訳を辞書や文法書を引きまくってなんとか完成させたことがあります。でもそのおかげで、工作の手順を英語で説明している課題文を読んでも抵抗がなく、日本語に訳す際もあまり悩まなかったように思います。やっておいて無駄なことってないんだなとつくづく思いました。あと、もともと工作好きだったっていうのもあります。やっぱり好きなことが一番ですね。
植松なつみ(第142回ドイツ語Job Shop入賞者)
翻訳ストーリー
ドイツ語の翻訳仕事はなかなかない。トランネットさんのJob Shopでもとても少ない。これまで私はドイツ語を教えながら文芸翻訳を行ったり、独経済紙の要約翻訳に携わってきた。今回はノンフィクションだったが、課題文を読んだときに、ぜったい選ばれたいと思った。ニュースで知って興味を持っていた音楽家の自叙伝だったし、内容も魅力的だったからだ。ただ以前にJob Shopで落ちた経験があり、そのときの最大の理由であろう「日本語がかたい」という点も自覚していた。応募後は毎日祈るような気持ちで過ごしていて、選ばれたときは本当に嬉しかった。
いざ翻訳に取りかかると、ホルンの知識がないことが急に心配になった。ホルンの種類や部位、歴史といった専門用語はけっこう簡単に調べがつく。音色に関する表現や、演奏の動作といったホルン奏者が慣れ親しんでいるであろう言い回しが難しい。幸運にも日本ホルン協会の方に目を通してもらう機会があったのは心強かった。
最も苦労した点はペース配分だ。コーディネーターの方に提出する下訳の配分は事前にだいたい決めてある。しかし、まだ余裕があるという勘違いや、不出来な下訳を提出することへのためらいで、提出はずれ込んでいった。一気に訳すことに慣れてはいたけど、分量があるとなかなか終わらず、結果多大なご迷惑をおかけすることになってしまう。本書が先を読み進めたくなる魅力を持っていたおかげで、なんとか仕上げることができた。本来、下訳を早く提出すれば、その分訳のブラッシュアップに時間を回せるのだから、とにかく一度最後まで訳すべきだった。次回があればその点にうんと気をつけたい。翻訳というのは完成点を見極めるのが難しく、何度見直しても修正したい箇所が現れるものだ。しかしいつか決断しなくてはいけない。そのためにはどれだけ見直すことができたかという自信が必要だ、ということを今回実感した。
江上泉(第121回英語Job Shop入賞者)
翻訳ストーリー
出産を機に英語教員の職を辞し、翻訳の道へと迷い込んだまま数年が経過。コンクールやオーディションでもあと一歩というところまではいけるのに、なかなか最後のひとりになれないというもどかしい状態が続き、そろそろ覚悟を決めなくては……と思っていた矢先に、運命の出会いはやってきた。課題の数ページを読んだ瞬間に、これは30数年ピアノどっぷりの生活をしてきたわたしこそが訳すべき本だと、妙な使命感でいっぱいになったのだ。しかし、いざ、翻訳者決定のお知らせをいただき、喜び勇んで翻訳作業に入ってみると、想像以上に苦しい闘いの日々が待っていた。なにしろ、書籍をまる一冊訳すのは初めての経験、未知の世界である。締め切りまでに終わるのだろうかという焦燥感から、食欲不振、睡眠障害、神経性胃腸炎、喘息発作……と次々に身体が悲鳴を上げ始めた。ところが同時に、音楽を文字で表現するという難題に立ち向かうことは、この上なくワクワクする作業でもあった。本書に登場するすべての曲を楽譜と音源で確認しながら、この曲を、このフレーズを、著者と同じ熱量で伝えるにはどんなことばがぴったりはまるだろう? とあれこれ考えながら脳内ピアノを弾く時間は、幸せそのものだったと言っていい。デビュー作でこれだけ贅沢な思いができたのは、つくづくありがたいことである。本書との出会いは、わたしにたくさんのものを与えてくれた。一冊を妥協せずに訳しきったという自信や、もう少しこの世界に挑んでみようという覚悟。さらには、読譜や鑑賞の仕方に変化が起こり、音楽ライフがさらに彩り豊かになるというおまけつき。自分には専門分野がないと思い込んでいたけれど、音楽を突き詰めるのも悪くないと考えるようにもなった。ただし、あれ以来、暇さえあればピアノに向かい、足繁くコンサートに通うわたしを、夫が「あの本で拍車がかかった……」と半分あきれて見ているであろうことは、想像に難くない。
藤原友代(第114回韓国語Job Shop入賞者)
翻訳ストーリー
韓国語学習の一環として韓国の小説を読むようになり、ある程度、韓国語を習得した者として、韓国の書籍を日本に紹介するお手伝いができたらなあ……と漠然とした思いを抱いてトランネットさんに登録してから数年。
実物(?)の私を知る友人から「キャラ違うでしょ!」と抗議の声が聞こえてきそうな『時の庭園』の案件を運よく担当させていただくことになりましたが、訳出作業もさることながら、慣れない専門用語やルールに戸惑うこともありました。それでもトランネットの担当様のご尽力で安心して作業を進めることができ、翻訳以上の学びをさせていただいたと感謝しています。
十数年前、あの文字(ハングル)の構成はどうなっているんだろう? あのパーツはバラせるんだろうか? というナゾを解決すべく、軽い気持ちで踏み入れた韓国語の世界。毎日見ても見飽きない韓国語を相手に仕事ができれば、どんなに楽しいだろう……と思っていましたが、翻訳の仕事はほとんどが日本語と検索サイトとの、そして根気(それに時間と体力)との闘いでした。訳出作業をするたびに自分の語彙力のなさにゲンナリしますが、語彙の多い友人との会話や偶然出くわした文章の中から、アンテナに引っかかった表現をちょいと失敬……とノートに書き溜めるのもまた楽しい作業です。まだまだ学ぶ余地があるということは翻訳者としては失格かもしれませんが、知的好奇心をくすぐってくれるものがあるというのは幸せなことだと思っています。
今後、「キャラ違い」ではなく「私向け」の案件が舞い込んでくれるかどうかはわかりませんが、万一そんな幸運が訪れたときのために、韓国の小説ばかりではなく、日本語の書籍、特に私の専門分野である「ちょいグロ小説」やサスペンスに触れ、それら特有の語彙をたくさん貯蓄しなければと思っています。それと同時にやはり、どうしても日本の読者に紹介したい! と思えるような原書に出逢うことが、私の密かな願いです。
※ほかにも訳書がおありです。
松並敦子(第126回英語Job Shop入賞者)
翻訳ストーリー
何度も選外を重ねるうち、「本当に出版翻訳デビューなんてできるの?」と疑心暗鬼になってきた。それでも応募を繰り返すうち、入選が目的ではなく、課題関連の資料や書籍を探すことを楽しむようになってきた。そんなとき、私にJob Shop入賞のメールが届いた。「ハズレくじをたくさん集めると必ずもらえる景品?」と、狐につままれた気分だったが、夢見心地で引き受けた。しかし、出版翻訳デビューに浮かれていたのは最初だけで、すぐに、厳しい現実に直面し息苦しくなってきた。しっかり調べる習慣だけは習得済みと思っていた
が、大きな勘違いだった。出版翻訳が求めるレベルは、私の経験や能力を超えていた。とんでもない世界に足を踏み入れたと思い後悔し、自信も失ったが、開き直ることにした。「上手く進まなかったら、責任は私を選んだトランネットにある」と、責任転嫁することで自分の気持ちを楽にし、「目標は締め切り厳守」と決めて、ひたすら作業に取り組んだ。そして、トランネットは見事に責任を取ってくれた。優秀なコーディネーターさんが、ヨチヨチ歩きの私をしっかりゴールまで導いてくれた。きめ細やかな訳文チェックはもちろん、内
容に関する疑問には的確かつ迅速な対応、参考サイトの紹介、至れり尽くせりの完璧なフォローで助けてくれた。翻訳を自己流でやってきた私にとって、コーディネーターさんとの二人三脚(本当はおんぶにだっこ)の翻訳作業は、プロからの貴重なマンツーマン指導というまたとない機会で、充実した時間を過ごさせてもらった。もっとも、あれだけ丁寧に指導して頂いたのに、現在、私は相変わらず選外を彷徨っている。コーディネーターさんの苦労を生かしきれず、お恥ずかしい限りだが、「せっせとハズレくじを集めていたら、また景品が届かないかな?」と、今でも楽しく課題に挑戦させてもらっている。
小川浩一(第555回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
今年米寿を迎えた実家の父はジグソーパズルが好きで、毎日飽きずに少しずつ進めている。先日、帰省したときに、そのパズル作りを手伝った。手伝いながら、翻訳作業に似ているなと思った。一日では終わらないにしても、投げ出してしまわないかぎり、いつかは完成する。進め方にルールはなく、好きなようにやればよい。端からやり始めるなど、いくつか定石はあるものの、基本的には自由である。それから、ひとりで好きな時間にできる。
もちろん違いもあって、翻訳には締め切りがある。このことは常識としては知っていたが、さらに分納などという制度があることは知らなかった。
子どものころ、いつも夏休みがほぼ終わりかけたころになって、ようやく宿題にとりかかるタイプだった私にとっては、この「分納」(実際に出版社へ納品することに加えて、コーディネーターやチェッカーの方に小分けにして見てもらうことも含む)というのが、とんでもないプレッシャーなのだ。
五十を過ぎた中年男の私は、老眼のせいもあって、最近はほとんど本を読まなくなってしまったが、そのずっと以前から、本を前から順に読むのが苦手だった。小説だろうが、専門書だろうが、適当にページを開いてそのページから読み始め、飽きたらまた別のページを適当に開いてしばらく読む。それにも飽きたら、別の本でも同じことをする。そのうち、すべて読み終わる。いつもそんな読み方をしていた。
先に、ジグソーパズルは翻訳作業に似ていると書いたが、本当は、正確には、「私の」翻訳作業に似ているなと思ったのだ。なにも一方向から順番に完成していく必要はなく(そのように進める人も多いと思うが)、たまたま手に取ったピースをきっかけにその周辺をある程度組み立て、飽きたらまた別のピースを手に取って同じことを繰り返す。そのうち、いつかは完成するだろう。そんな自由さが似ているなと思ったのだ。締め切りがあることを除けば。
※他にもオーディション、Job Shopの入賞経験をおもちです。
森由美子(第542回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
普段は実務翻訳を仕事にしているが、多くの人に読んでもらえる仕事がしてみたいと、友人から教えてもらったオーディションへの応募を始めた。
訳も分からずやみくもに応募していた最初の数回を勝手に除外させていただくと、ここのところは3回に1度ほどのペースで最終の数人には残っていた。だが、どうしても最後の関門が突破できない。あと少しの努力が足りないのか、私の能力ではここが限界なのかと悩み始めたころ、この課題が出た。これまでで一番、翻訳したいと思った。
願いが通じたのか、その気持ちが粘りにつながったのか、運よく選んでいただくことができた。現実感がなく、ふわふわした気持ちになったことを覚えている。
実際に始まってみると、一番苦労したのはペース配分だった。実務翻訳をしているのでスピードには自信がある。ところが、「普段よりは少し余裕があるけれど、潤沢というほどではない」時間を与えられ、その中でペースをつかむことが思った以上に難しかった。何度もスケジュール表を書き直し、どんどん厳しくなっていく残り時間に弱音を吐いたこともあった。
そんな中で気付いたことがある。楽な条件下で成果をだすのは当たり前。制約がある中でのアウトプットこそが、現在の実力なのだと。
自分が訳したものが初めて書籍になったときは、単純に嬉しいだけでなく、不思議な気持ちにもなった。私が提出したのはただのワードのファイルなのに、こんなに立派な装丁がほどこされている。奥付を見ると、びっくりするほど多くの方々がこの本に関わっていたことが分かる。その中のひとりとして、著者の下に名前を連ねていただくのは、誇らしくも、こそばゆくもあった。
この仕事を通じて本当に多くのことを学ばせて頂いた。自分の限界も知ったし、逆に自信も得た。もし次のチャンスがあったら、きっともっとうまくできるという確信を持てたのが、一番の成果かもしれない。
鴨志田恵(第545回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
『Iggy Peck, Architect』が出題されたとき、夫の駐在でアメリカに住んでいた私は、「絶対やらなければ!」との思いで、すぐに図書館に原書を借りに行きました。実はこの本は、渡米して間もない頃、英語で苦労している息子のために借りたことがあり、大好きだった作品です。リズムが良く、何といっても絵が楽しい! でもベストセラーだし、日本でも早々に訳されているだろうな、と思っていたのです。だから、めったに出ない絵本のオーディションで『イギー』がポンと現れたのは、嬉しい驚きでした。
私が翻訳者を目指そうと思いたったのは、その4年ほど前のことです。度々の海外生活を経て、単発の翻訳アルバイトはしてきましたが、出版翻訳に目を向けたことはありませんでした。その頃、小学生だった息子に『宇宙への秘密の鍵』という本を読み聞かせていました。自然な日本語訳で描かれる物語の世界に夢中になる子供の姿を見ていて、翻訳とは、言語の壁を越えて子供たちの心に夢を届ける素敵な仕事だなあ、と感じるようになったのがきっかけです。
手始めにネットで見つけたトランネットのオーディションに応募してみて、先は長いぞ…と実感。通信や通学で講座を受講し、勉強会やオーディションにも参加し、数年かけて少しずつ感覚を養いました。望みは捨てず、ダメでも落胆せず、興味のあるオーディションが出たら応募する。そんな風に淡々と続けた末の入賞が、お気に入りの作品だったのは、思いがけないご褒美でした。
翻訳は、考えれば考えるほど「ぴったりの訳」にはならず、辛い作業です。でもそれが楽しいと思えるのは、絵を描く作業に似ているから。まずざっくりした訳で下絵を描き、ゆがみを直していく。色を選び、細部を決め、いじり過ぎないこと。途中の段階で「お粗末だな…」と諦めないことも大事、なんて考えながら訳しているのは、私だけかもしれませんが、これからもこの苦しくも
楽しい作業に励んでいきたいと思います。
※第122回Job Shop英訳(英米の出版社への企画提案用部分訳)でも入賞されています。また、英訳の出版実績もあります。※
安部恵子(第533回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
科学が好きで大学の理工系の学部に進み、卒業後はメーカーの技術職につきました。科学読み物と英語が好きなことから、いわゆるポピュラーサイエンスの分野の翻訳に興味を持ち、子育てや退職などを経て、翻訳の勉強を本格的に始めました。良き師と先輩翻訳者の方々に恵まれ、下訳やリーディングなどいただいた仕事に一つひとつ取り組んできて、ようやく少しずつ訳書を出させていただけるようになりました。私は研究者が自分の研究について一般の人々に向けて情熱的に語るタイプの本が大好きなので、そうした原書を発掘して、これはと思うもののレジュメを作って出版社に持ち込んでいます。もっとも、版権は売約済みの場合がほとんどなので、苦心惨憺で作ったものが無駄みたいですが、不思議なもので、意外にもレジュメを発端にさまざまな形でのちの仕事につながってきました。
とはいえ、本書はそんな私の路線とは少し違うところにあります。課題を一読したとき、インターネットに対する著者の違和感に共感を覚えて、応募したところ運よく翻訳者に選んでいただけました。訳し進めるうちに、小さいお子さんたちを育てながらもライターとして第一線でふんばっていこうとする著者が、迷い悩みながらもSNSに振り回されない生活を目指す姿に、立場も年齢もまったく違う私ですが凝り固まっていた頭を揺さぶられる思いを……などといっても、じっくり味わっていられるわけもなく。現実は、四苦八苦で締め切りに合わせて訳稿を納品したものの、ゲラには「赤」がびっしりで、ありがたいやら情けないやら。数々のご指摘に向き合って調べ物をしなおし、ロジックの甘いところをきっちりと詰めていき、表現の未熟さと固さをなんとかしてほぐして修正を重ねる過程は、苦しくも、何にも代えがたい勉強になりました。出版社の編集者と校正者の方々には心から感謝しています。完成した美しい表紙の本を手に取った瞬間は感無量でした。
矢島麻里子(第543回オーディション作品入賞者)
翻訳ストーリー
『Starting Your Beautiful Life』の課題文を読み終え、中央線・四ツ谷駅のホームに降り立ったときの景色をいまでも鮮明に覚えている。それは、心から訳したいと思える本に出会えた瞬間だった。課題提出から2週間が経ち、最終選考の5人に残ったという知らせを受けたときも不思議な確信があった。待望の採用通知はその数日後に届いた。
原文を読み進めるのは楽しくてしかたがなかった。著者の言葉の一つ一つがするすると胸に沁み込んできた。最終章に差し掛かったときには、もうすぐ読み終わってしまうのが淋しかったほどだ。この本は書き下ろしで、原著が出版されていない。原文を読むことができるのは、関係者以外は私だけ。なんと幸福なことだろう。これほどの幸福にあずかった以上、著者の示唆に富む思いやりに満ちたメッセージを何一つ損なうことなく再現して読者に届けなければならない。そんな思いで2カ月間全エネルギーをこの本に注いだ。
「いったん決断したら、後ろを振り返ってはなりません」「あなたが決めたのですから、今やっていることを楽しんでください」。社内翻訳者からフリーランスに転身して1年、自分の決断が本当に正しかったのか不安だった私に、著者の力強い言葉は「前を向く」ことを教えてくれた。この本を通して悩みを抱える読者を勇気づけることができたらと思い翻訳を始めたが、いちばん勇気づけられたのは、訳している自分自身だった。
そして訳文提出から8カ月後、晴れて『10年後、後悔しないための自分の道の選び方』が刊行された。
刊行日決定の連絡を受け取ったとき、完成した見本を手にしたとき、書店に並べられた本書を見つけたとき、出版記念パーティーで著者のトビン先生に満面の笑顔で労ってもらえたとき、読者の方々の心のこもった感想を目にしたとき——その一つ一つが私にとっては「至高体験(peak experience)」であり、これから先もずっと忘れることはないだろう。
この素晴らしい出会いに心から感謝したい。
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